36 もし、処女である自分の娘の婚期も過ぎようとしていて、そのままでは、娘に対しての扱い方が正しくないと思い、またやむをえないことがあるならば、その人は、その心のままにしなさい。罪を犯すわけではありません。彼らに結婚させなさい。
37 しかし、もし心のうちに堅く決意しており、ほかに強いられる事情もなく、また自分の思うとおりに行うことのできる人が、処女である自分の娘をそのままにしておくのなら、そのことはりっぱです。
38 ですから、処女である自分の娘を結婚させる人は良いことをしているのであり、また結婚させない人は、もっと良いことをしているのです。
39 妻は夫が生きている間は夫に縛られています。しかし、もし夫が死んだなら、自分の願う人と結婚する自由があります。ただ主にあってのみ、そうなのです。
40 私の意見では、もしそのままにしていられたら、そのほうがもっと幸いです。私も、神の御霊をいただいていると思います。
前回に続いてパウロは、処女が結婚するのはよいのかどうかというテーマを論じています。古代世界では、父親が娘のために結婚の縁組を行ないました。それで、ここでの勧告は、娘を持つ父親に宛てられた形式になっています。
パウロの真意を要約すると次のようになります。(1)パウロは、婚期を迎えた処女を大切に考え、敬意を表しています。(2)婚期を迎えた娘を結婚させるのは、罪を犯していることではありません。父親はその娘に、良いことをしているのです。(3)もし、事情が許し、娘を処女のままで置いておくことが可能であれば、それもまた立派なことです。
前回学んだように、すべては、秩序ある生活、時間とエネルギーの有効な活用、神への二心のない奉仕、という視点から考えられるべきです。
次にパウロは、配偶者と死別して、現在独身生活を送っている人の結婚問題について勧告を与えています。(1)結婚は、二人の男女を縛り、一つにしています。(2)しかし、相手が死ねば、生きているほうはその結婚から解かれ、自分の願う人と結婚する自由が与えられます。その自由を行使して再婚することは罪ではありません。(3)ただし、パウロの意見では、再婚しないほうがもっと幸いだということになります。これもまた、秩序ある生活、時間とエネルギーの有効な活用、神への二心のない奉仕、という視点からの判断です。
これらの勧告を与えた後、パウロは、「私も、神の御霊をいただいていると思います。」と語っています。つまり、これらの勧告は、他の書簡の内容と同じように、神の霊感を受けて書かれていることを主張しているのです。
パウロの驚くべきバランス感覚、現実的対応、寛容さに注目しましょう。群れを導く指導者に必要なのは、パウロが持っていたこのような霊的資質ではないでしょうか。他の人に助言を与える時、このような知恵が与えられるように祈りましょう。
きょうの祈り
天の父なる神さま。すべての選びを、秩序ある生活、時間とエネルギーの有効な活用、神への二心のない奉仕、という視点から行なうことができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
年間聖書通読
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