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コリント人への手紙第一8:1~3

1 次に、偶像にささげた肉についてですが、私たちはみな知識を持っているということなら、わかっています。しかし、知識は人を高ぶらせ、愛は人の徳を建てます。

2 人がもし、何かを知っていると思ったら、その人はまだ知らなければならないほどのことも知ってはいないのです。

3 しかし、人が神を愛するなら、その人は神に知られているのです。

知識と愛の対比

偶像に捧げた肉

パウロは、次のテーマに移ります。コリント教会からの使者が持ってきた次の質問は、「偶像に捧げた肉を食べてもよいのかどうか。」というものでした。偶像は、その肉に何かの悪影響を与えているのか?その肉は、霊的に汚れているのか? その肉を食べた人は、霊的に汚れるのか? コリントの信者の間には、このような疑問がありました。
ギリシヤ、ローマ文化の影響下にあった当時の町々には、偶像の宮が満ち満ちていました。そこでは、偶像に肉を捧げることが頻繁に行なわれていました。普通、その肉は次の三つの方法で処理されていました。(1)一部は、火で焼いて偶像に捧げる。(2)一部は、祭司のものとなる。(3)一部は、捧げた人が持ち帰る。
以上の中で、(2)の部分が特に問題になります。もし祭司がそれを食さない場合は、その肉は売られて市場に流通します。市場に行けば、偶像に捧げられた肉が売られており、普通の肉と区別がつきません。それで、信者はそのような肉を食べてもよいのかどうかということが問題になったわけです。現代に生きる私たちには、このような問題はありません。しかし、異教文化の中で、クリスチャンとしてどう生きるかという原則は学ぶことができます。

知識

ここでパウロは、知識と愛を対比させて論じています。(1)パウロは、「私たちはみな知識を持っている」と言います。その知識とは、偶像なるものは実際には存在しないこと、それに捧げられたからと言ってその肉が霊的に汚れるわけではないこと、などです。(2)しかし、知識があるというだけでは不十分です。人がすべての知識を所有することなど不可能です。もし自分は知者だと思う人がいるなら、その人は愚かな人です。(3)どのような知識であっても、愛の衣をまとっていなければ、それは有害なものとなります。まさに、「知識は人を高ぶらせ、愛は人の徳を建てます。」とあるとおりです。(4)すべての行動が、神への愛から出ているなら、その人は神に知られている人です。
知識と愛の関係について、パウロの教えからあなたは何を学びますか。黙想してみましょう。

きょうの祈り

天の父なる神さま。どうか愛と謙遜の衣をまとった知識を持つことができますように。高ぶりの罪から私をお守りください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

アモス書1~2、テサロニケ人への手紙 第一1

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