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コリント人への手紙第一8:4~13

4 そういうわけで、偶像にささげた肉を食べることについてですが、私たちは、世の偶像の神は実際にはないものであること、また、唯一の神以外には神は存在しないことを知っています。

5 なるほど、多くの神や、多くの主があるので、神々と呼ばれるものならば、天にも地にもありますが、

6 私たちには、父なる唯一の神がおられるだけで、すべてのものはこの神から出ており、私たちもこの神のために存在しているのです。また、唯一の主なるイエス・キリストがおられるだけで、すべてのものはこの主によって存在し、私たちもこの主によって存在するのです。

7 しかし、すべての人にこの知識があるのではありません。ある人たちは、今まで偶像になじんで来たため偶像にささげた肉として食べ、それで彼らのそのように弱い良心が汚れるのです。

8 しかし、私たちを神に近づけるのは食物ではありません。食べなくても損にはならないし、食べても益にはなりません。

9 ただ、あなたがたのこの権利が、弱い人たちのつまずきとならないように、気をつけなさい。

10 知識のあるあなたが偶像の宮で食事をしているのをだれかが見たら、それによって力を得て、その人の良心は弱いのに、偶像の神にささげた肉を食べるようなことにならないでしょうか。

11 その弱い人は、あなたの知識によって、滅びることになるのです。キリストはその兄弟のためにも死んでくださったのです。

12 あなたがたはこのように兄弟たちに対して罪を犯し、彼らの弱い良心を踏みにじるとき、キリストに対して罪を犯しているのです。

13 ですから、もし食物が私の兄弟をつまずかせるなら、私は今後いっさい肉を食べません。それは、私の兄弟につまずきを与えないためです。

愛による自由の制限

知識ある者の理解

知識と愛の対比を行なった後、パウロは具体的に「偶像に捧げた肉」の問題について論じます。(1)自らの知識と自由を誇る人たちは、偶像には実体がないと主張していました。パウロはそのことを承認しています。(2)ただしパウロは、偶像神は存在しないにしても、「神々と呼ばれるもの」、つまり、人々を偶像礼拝に導く悪霊が存在することは認めています。それゆえ、偶像礼拝が無害だとは言えないのです。(3)万物と教会は唯一の神と唯一の主キリストによって存在させられています。万物は神と主キリストのものであり、偶像は存在しないのですから、当然、偶像に捧げた肉は普通の肉と同じと見てよいのです。
以上の議論は、知識を持った人々の合理的な議論です。しかしパウロは、それだけでは不十分だと言います。

愛による判断

大切なことは、教会の中にはそのような知識を持った人ばかりがいるのではないという事実です。そのような「弱い人々」への配慮も必要です。(1)偶像に捧げた肉を食べるなら良心が汚されると考える人が、その肉を食べると、実際にそのその良心が汚されてしまいます。(2)食べ物は、神との関係を決定するものではありません。だから、食べるか食べないかはその人の自由です。しかし、もし配慮のないままで食べるなら、信仰の弱い人をつまずかせることになります。(3)一例としてパウロは、信仰の強い人が社交上の理由で偶像の宮で食事をしたらどうなるか、と問いかけます。当時、儀礼的な食事は偶像の宮でよく行なわれていました。もし信仰の弱い人がそれを見たなら、その人は、自分も偶像礼拝をしてもよいのだと勘違いする可能性があります。そうなると、知識のある強い人が弱い人を滅ぼしたことになります。(4)弱い人をつまずかせるなら、それは、その兄弟のために死んでくださったキリストに対して罪を犯すことになります。
最後にパウロは、自分がどのように振舞ってきたか、また、今後どのようにするかを語ります。「兄弟をつまずかせるくらいなら、自分は今後肉を食べない。」これがパウロの言う「愛による自由の制限」の模範です。

きょうの祈り

イエス・キリストの父なる神さま。信仰の弱い兄弟たちのつまずきとなるようなことのないように、私に知恵を与え、守り、導いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

アモス書3~4、テサロニケ人への手紙 第一2

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