12 すべてのことが私には許されたことです。しかし、すべてが益になるわけではありません。私にはすべてのことが許されています。しかし、私はどんなことにも支配されはしません。
13 食物は腹のためにあり、腹は食物のためにあります。ところが神は、そのどちらをも滅ぼされます。からだは不品行のためにあるのではなく、主のためであり、主はからだのためです。
14 神は主をよみがえらせましたが、その御力によって私たちをもよみがえらせてくださいます。
15 あなたがたのからだはキリストのからだの一部であることを、知らないのですか。キリストのからだを取って遊女のからだとするのですか。そんなことは絶対に許されません。
16 遊女と交われば、一つからだになることを知らないのですか。「ふたりは一体となる」と言われているからです。
17 しかし、主と交われば、一つ霊となるのです。
18 不品行を避けなさい。人が犯す罪はすべて、からだの外のものです。しかし、不品行を行う者は、自分のからだに対して罪を犯すのです。
19 あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。
20 あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現しなさい。
クリスチャンには自由があります。しかしそれは、何をしても構わないという自由ではありません。コリントのクリスチャンの中には、「食物や体はやがて消え去るものであるから、それらに関しては何をしても構わない。それが、魂や霊に影響を与えることはない。」と考える人たちがいたようです。それに対してパウロは、次のように反論します。(1)クリスチャンの体はキリストのからだの一部である。(2)その体を取って、遊女と交わるなら、その人は遊女と一心同体となる。そのようなことが許されるはずがない。(3)人が犯す罪はすべて体の外のものであるが、不品行を行なう者は、自分の体に対して罪を犯しているのである。(4)信者の体は、聖霊の宮である。その宮を遊女の体とすることは重大な罪である。
クリスチャンの自由と性的放縦の関係については、以下の四つの質問をすればいかに振る舞うべきかが明らかになります。(1)この行為は、私にとって、教会にとって、益になるだろうか。(2)この行為は、私の霊的成長を助け、私をキリストに似た者に変えていくだろうか。(3)この行為は、私の体が代価(御子イエスの命)を払って買い取られたという真理を証しするものとなるだろうか。(4)この行為は、神の栄光を現すものとなるだろうか。
かつては罪の奴隷であった私たちが、今や神の所有物となりました。私たちの体の中には、神から受けた聖霊が宿っています。これがクリスチャンの人生観であり世界観です。私たちに与えられた自由を、愛を働かせる機会として用いましょう。
きょうの祈り
イエス・キリストの父なる神さま。私は代価を払って買い取られました。どうか、私の体をもって神の栄光を現すことができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
年間聖書通読
ホセア書4~5、コロサイ人への手紙1
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