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ローマ人への手紙2:2 〜 5

2 私たちは、そのようなことを行っている人々に下る神のさばきが正しいことを知っています。

3 そのようなことをしている人々をさばきながら、自分で同じことをしている人よ。あなたは、自分は神のさばきを免れるのだとでも思っているのですか。

4 それとも、神の慈愛があなたを悔い改めに導くことも知らないで、その豊かな慈愛と忍耐と寛容とを軽んじているのですか。

5 ところが、あなたは、かたくなさと悔い改めのない心のゆえに、御怒りの日、すなわち、神の正しいさばきの現れる日の御怒りを自分のために積み上げているのです。

裁きの原則1

正義という原則

これからパウロは、文化的異教徒に弁解の余地がないこと(1 節)を論証しようとしています。その内容が、神の裁きの3つの原則です。きょうの箇所では、神の裁きの原則1が示されます。その内容は、神の裁きは、「正義」に基づいて行われるというものです。
「私たちは、そのようなことを行っている人々に下る神のさばきが正しいことを知っています」(2節)。(1)神は、見かけによってではなく、その人の実質を見て裁かれます。神の裁きの基準は、誰に対しても同じです。ですから、他人を裁く人も、自分が裁いている相手と同じように、神によって裁かれるのです。
「あなたは、自分は神のさばきを免れるのだとでも思っているのですか」(3節)。(1)ここでパウロは、論敵を想定して(ダイアツライブという文学手法)、その質問に答えるようなかたちでディベイト(討論)を進めます。(2)自分は大丈夫だと思っている人たちとは、これまでのパウロの議論に同意し、異教徒の罪を裁く人たち、自分たちは異教徒とは違うと自負する人たち、異教徒を裁きながら、自分でも同じ罪を犯している人たちです。
「それとも、神の慈愛があなたを悔い改めに導くことも知らないで、その豊かな慈愛と忍耐と寛容とを軽んじているのですか」(4節)。(1)彼らは、神の豊かな慈愛を軽んじています(軽蔑している)。すべての霊的、物質的祝福は、神からの贈り物です。それが分かると、人は悔い改めに導かれます。(2)彼らは、神の豊かな忍耐を軽んじています(軽蔑している)。神は、罪に対する怒りをこらえておられます。罪人がひとりでも多く悔い改めるように待っておられるのです。(3)しかし彼らは、神の豊かな寛容を軽んじています(軽蔑している)。神は人の罪を忍耐しておられます。私たちの神は、怒るのに遅い神です。
「ところが、あなたは、かたくなさと悔い改めのない心のゆえに、御怒りの日、すなわち、神の正しいさばきの現れる日の御怒りを自分のために積み上げているのです」(5節)。(1)かたくなで悔い改めのない心とは、アダムの子孫の性質です。(2)私たちの罪は、習慣的罪によって、より深刻になり、神による放置によって、さらに深刻になります。(3)彼らは、自分のために裁きを重くしています。そして、時が来たなら、神は彼らを裁かれます。神の忍耐を軽んじている点はないか、自己吟味をしてみましょう。

きょうの祈り

イエス・キリストの父なる神さま。他人にはきびしく、自分には甘い私です。あなたは正義に基づいて人の罪を裁かれます。あなたを恐れることによって知恵を得ることができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

ヨブ記25〜27、詩篇107 ~ 108