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出エジプト記36:2 〜 7

2 モーセは、ベツァルエルとオホリアブ、および、【主】が知恵を授けられた、心に知恵のある者すべて、すなわち感動して、進み出てその仕事をしたいと思う者すべてを、呼び寄せた。

3 彼らは、聖所の奉仕の仕事をするためにイスラエル人が持って来たすべての奉納物をモーセから受け取った。しかしイスラエル人は、なおも朝ごとに、進んでささげるささげ物を彼のところに持って来た。

4 そこで、聖所のすべての仕事をしていた、知恵のある者はみな、それぞれ自分たちがしていた仕事から離れてやって来て、

5 モーセに告げて言った。「民はいくたびも、持って来ています。【主】がせよと命じられた仕事のために、あり余る奉仕です。」

6 それでモーセは命じて、宿営中にふれさせて言った。「男も女も、もはや聖所の奉納物のための仕事をしないように。」こうして、民は持って来ることをやめた。

7 手持ちの材料は、すべての仕事をするのに十分であり、あり余るほどであった。

あり余る奉納物

嬉しい悲鳴

ここで困った問題が起きた。(1)民は、朝ごとにささげ物をモーセのもとに持って来た。民がいかに感動し、自発的に献げていたかが分かる。内面の変化は、外面的変化をもたらす。(2)しかし、民がささげた物の量があまりにも多すぎたので、幕屋の制作者たちは困惑した。到底使いきれないほどの物が献げられたからである。(3)そこで制作者たちは、一時仕事を中断して、モーセのもとに来て状況を報告した。「民は幾たびも、持って来ています。【主】がせよと命じられた仕事のために、あり余る奉仕です」。(4)そこでモーセは、ささげ物を中止せよというおふれを出した。「男も女も、もはや聖所の奉納物のための仕事をしないように」。これは前代未聞の命令である。(5)「こうして、民は持って来ることをやめた」とある。
これと似たようなことが、2 歴代誌31:10(ヒゼキヤ王の時代)に記録されている。「すると、ツァドクの家のかしら、祭司アザルヤが彼に答えて言った。『人々が奉納物を【主】の宮に携えて来始めてから、食べて、満ち足り、たくさん残りました。【主】が御民を祝福されたからです。その残りがこんなにたくさんあるのです』」。この時もあり余るほどの奉納物が献げられた。残ったものは、宮の脇部屋に保管された。幕屋建設の時も、余った奉納物は、将来の必要のために保管されたと思われる。

私たちへの教訓

異邦人である私たちは、イスラエルの民の不信仰を責めたり、ユダヤ人はケチだと言ったりする。しかし、少なくともこの箇所では、彼らは異邦人である私たちを赤面させるような信仰と献身を示している。イスラエルの民が気前よく献げた理由は、霊的感動と喜びである。新約時代の教会にもこのような事例がある。パウロはこう報告している。「さて、兄弟たち。私たちは、マケドニヤの諸教会に与えられた神の恵みを、あなたがたに知らせようと思います。苦しみゆえの激しい試練の中にあっても、彼らの満ちあふれる喜びは、その極度の貧しさにもかかわらず、あふれ出て、その惜しみなく施す富となったのです。私はあかしします。彼らは自ら進んで、力に応じ、いや力以上にささげ、聖徒たちをささえる交わりの恵みにあずかりたいと、熱心に私たちに願ったのです」(2 コリ8:1 〜4)。ささげ物は、そのままその人の内面の状態の反映であることを覚えよう。内的発酵がないと、神に喜ばれるささげ物を献げることはできない。

きょうの祈り

イエス・キリストの父なる神さま。満ちあふれる喜びこそ、献身の原動力です。どうか私を、満ちあふれる喜びで満たしてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

エゼキエル書18~19、ガラテヤ人への手紙4