25 パロはモーセとアロンを呼び寄せて言った。「さあ、この国内でおまえたちの神にいけにえをささげよ。」
26 モーセは答えた。「そうすることは、とてもできません。なぜなら私たちは、私たちの神、【主】に、エジプト人の忌みきらうものを、いけにえとしてささげるからです。もし私たちがエジプト人の目の前で、その忌みきらうものを、いけにえとしてささげるなら、彼らは私たちを石で打ち殺しはしないでしょうか。
27 それで私たちは荒野に三日の道のりの旅をして、私たちの神、【主】にいけにえをささげなければなりません。これは、主が私たちにお命じになることです。」
28 パロは言った。「私は、おまえたちを行かせよう。おまえたちは荒野でおまえたちの神、【主】にいけにえをささげるがよい。ただ、決して遠くへ行ってはならない。私のために祈ってくれ。」
29 モーセは言った。「それでは、私はあなたのところから出て行きます。私は【主】に祈ります。あす、あぶが、パロとその家臣とその民から離れます。ただ、パロは、重ねて欺かないようにしてください。民が【主】にいけにえをささげに行けないようにしないでください。」
30 モーセはパロのところから出て行って【主】に祈った。
31 【主】はモーセの願ったとおりにされたので、あぶはパロとその家臣およびその民から離れた。一匹も残らなかった。
32 しかし、パロはこのときも強情になり、民を行かせなかった。
第四の災いの結果を見てみよう。(1)災いの程度は、先に行くほど厳しいものとなる。第2 番目のセットの3 つの災いは、どれも「苦痛をもたらすもの」である。(2)第四の災いで打たれたエジプトの偶像は、Baalzebub【ベルゼバブ】(蝿の主。ベルゼブル)である。ベルゼバブは、エジプト人を昆虫の群れから守ることができなかった。この偶像神は、福音書にも登場する(マタ12:24 〜32 参照)。ある時イエスは、悪霊につかれて、目も見えず、口もきけない人を癒された。群衆はそれを見て驚き、「この人は、ダビデの子なのだろうか」と言い交わしたが、パリサイ人たちは、「この人は、ただ悪霊どものかしらベルゼブルの力で、悪霊どもを追い出しているだけだ」と言った。これはイエスがメシアであることを公に拒否したということである。(3)ここで、今までにない状況が訪れる。パロの妥協である。彼はモーセとアロンを呼び寄せて、「さあ、この国内でおまえたちの神にいけにえをささげよ」と言う。つまり、エジプトから外に出ないで、【主】にいけにえを捧げよというのである。(4)モーセは、自分たちが捧げるいけにえは、エジプト人が忌み嫌う羊なので、自分たちは石で打ち殺されると回答する(エジプト人が羊飼いを嫌うことは、創46:34 で明らかにされていた)。(5)さらにモーセは、出エジプトの目的は、自分たちが神の民になることであると告げる。(6)それを聞いて、パロはさらなる譲歩案を提示する。「私は、おまえたちを行かせよう。おまえたちは荒野でおまえたちの神、【主】にいけにえをささげるがよい。ただ、決して遠くへ行ってはならない。私のために祈ってくれ」。この提示には、3 つの要素が含まれている。①荒野に行くことを許可する。②ただし、決して遠くへ行ってはならない(エジプトの支配の外に行ってはならない)。③私のために祈ってくれ。(7)モーセは、「私は【主】に祈ります」と言い、「あす、あぶが、パロとその家臣とその民から離れます」と約束する。モーセはパロに、重ねて欺かないようにと要請するが、効果はなかった。翌日、モーセの祈りは叶えられたが、パロはこの時も強情になり、イスラエルの民を去らせようとはしなかった。
パロの優柔不断な態度から教訓を学ぼう。妥協的な信仰生活を送っているなら、二心のある信者になってしまう(ヤコ1:6〜8参照)。私たちの内に妥協がないかどうか、聖霊によって吟味していただこうではないか。
きょうの祈り
【主】なる神よ。妥協のない信仰、試練によって練られた信仰を私にお与えください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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民数記21~22、マタイの福音書11
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