8 あなたがたは、盲目の獣をいけにえにささげるが、それは悪いことではないか。足のなえたものや病気のものをささげるのは、悪いことではないか。さあ、あなたの総督のところにそれを差し出してみよ。彼はあなたをよみし、あなたを受け入れるだろうか。─万軍の【主】は仰せられる─
9 さあ、今、恵みを受けるために神に願ってみよ。これはあなたがたの手によることだ。神はあなたがたのうちだれかを、受け入れてくださるだろうか。─万軍の【主】は仰せられる─
10 あなたがたのうちにさえ、あなたがたがわたしの祭壇に、いたずらに火を点ずることがないように、戸を閉じる人は、だれかいないのか。わたしは、あなたがたを喜ばない。─万軍の【主】は仰せられる─わたしは、あなたがたの手からのささげ物を受け入れない。
6~7節で明らかにされた祭司たちの罪が、より詳細に描写されます。「あなたがたは、盲目の獣をいけにえにささげるが、それは悪いことではないか。足のなえたものや病気のものをささげるのは、悪いことではないか。さあ、あなたの総督のところにそれを差し出してみよ。彼はあなたをよみし、あなたを受け入れるだろうか。─万軍の【主】は仰せられる─」(8節)
(1)祭司たちは、モーセの律法が禁じている「問題のあるいけにえ」をささげていました(レビ22:18~25、申15:21 参照)。具体的には、「盲目の獣」、「足のなえたもの」、「病気のもの」などです。(2)【主】は、それは「悪いことではないか」と問われます。もちろん、悪いことです。(3)そのようなものを「総督」に贈ったなら、どういうことになるか。「総督」という言葉は、ペルシヤ語です。つまり、異邦人の支配者です。人間の支配者でも、傷のある贈り物を受け取ることはありません。怒って突き返すことでしょう。(4)では、人間でも受け取らないようなものを、神にささげてよいのでしょうか。この行為の根底にあるのは、神を侮る心です。
「さあ、今、恵みを受けるために神に願ってみよ。これはあなたがたの手によることだ。神はあなたがたのうちだれかを、受け入れてくださるだろうか。─万軍の【主】は仰せられる─あなたがたのうちにさえ、あなたがたがわたしの祭壇に、いたずらに火を点ずることがないように、戸を閉じる人は、だれかいないのか。わたしは、あなたがたを喜ばない。─万軍の【主】は仰せられる─わたしは、あなたがたの手からのささげ物を受け入れない」(9~10節)
(1)「さあ、今、恵みを受けるために神に願ってみよ」とあります。これは悔い改めへの招きです。もし彼らが悔い改めるなら、神の恵みを受けることができます。しかし、問題の原因を作っているのは、彼ら自身です(「あなたがたの手によることだ」)。(2)問題のあるいけにえをささげるよりも、神殿の戸を閉めて、無意味な礼拝を止めるほうがよほどましなのですが、そうする者は誰もいません。(3)【主】は彼らのささげ物を受け取ることを拒否されます(イザ1:11~15 参照)。
神を人間のレベル以下で捉えていることはないでしょうか。私たちに関しては、最高かつ最大級の礼拝と感謝を、神にささげようではありませんか。
きょうの祈り
全知全能の神よ。あなたにふさわしい礼拝と感謝を、いつもささげることができますように、私を助けてください。神第一の生活ができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
年間聖書通読
エレミヤ書44~45、詩篇67~68
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