3 私たちの主イエス・キリストの父なる神、慈愛の父、すべての慰めの神がほめたたえられますように。
4 神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。
5 それは、私たちにキリストの苦難があふれているように、慰めもまたキリストによってあふれているからです。
6 もし私たちが苦しみに会うなら、それはあなたがたの慰めと救いのためです。もし私たちが慰めを受けるなら、それもあなたがたの慰めのためで、その慰めは、私たちが受けている苦難と同じ苦難に耐え抜く力をあなたがたに与えるのです。
7 私たちがあなたがたについて抱いている望みは、動くことがありません。なぜなら、あなたがたが私たちと苦しみをともにしているように、慰めをもともにしていることを、私たちは知っているからです。
あいさつが終わると、パウロは神をほめたたえ始めます。(1)きょうの箇所は、ユダヤ教の祝福の祈り(神をたたえる祈り)の式文形式に従って書かれたものです。同様の祈りの形式が、エペソ人への手紙1:3~14、ペテロの手紙第一1:3~4にも見られます。読んでみましょう。(2)パウロがほめたたえているのが、父なる神であることに注目しましょう。彼はイエスをメシアと信じるユダヤ人(メシアニック・ジュー)でしたが、だからと言って、メシア(キリスト)を父なる神と置き換えたり、父なる神の上に置いたりしたわけではありません。(3)パウロの祈りのパターンから、私たちも祈り方を学びましょう。クリスチャンは、聖霊に導かれ、御子イエスを通して、父なる神に祈ります。これが、基本です。
次にパウロは、クリスチャンが遭遇する苦難の意味に言及しています。(1)メシアニック・ジューであっても、異邦人クリスチャンであっても、ともに苦難に遭います。このような教えは、「勝利主義的傾向」(クリスチャンはすべてにおいて成功するという考え方)の強い現代のクリスチャンには受け入れ難いことかもしれません。しかし、主イエス自身が弟子たちにこう語っておられます。「あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです」(ヨハネ16:33)。(2)苦難に遭っている人には慰めが与えられます。神は、どのような苦しみの時にも、私たちを慰めてくださいます。それゆえパウロは、父なる神を「すべての慰めの神」と呼んだのです。(3)さらに、神からの慰めを受けた人は、苦しみの中にある人々を慰めることができるようになります。(4)このようにして、すべてのクリスチャンが、キリストの苦難とキリストの慰めに与るようになります。
異邦人クリスチャンには、メシアニック・ジューの兄弟たちを励ますという使命も与えられています。エレミヤ書30:7には、「ヤコブの苦難の時」(ユダヤ人が激しい迫害に遭う患難時代)という言葉があります。ユダヤ人たちはこれからも試練に遭うことでしょうが、その時、彼らを励ます人は幸いです。
きょうの祈り
イスラエルの神よ。どうか私を、慰めの器として、苦難の中にいる人のもとに派遣してください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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