17 ただ、おのおのが、主からいただいた分に応じ、また神がおのおのをお召しになったときのままの状態で歩むべきです。私は、すべての教会で、このように指導しています。
18 召されたとき割礼を受けていたのなら、その跡をなくしてはいけません。また、召されたとき割礼を受けていなかったのなら、割礼を受けてはいけません。
19 割礼は取るに足らぬこと、無割礼も取るに足らぬことです。重要なのは神の命令を守ることです。
20 おのおの自分が召されたときの状態にとどまっていなさい。
21 奴隷の状態で召されたのなら、それを気にしてはいけません。しかし、もし自由の身になれるなら、むしろ自由になりなさい。
22 奴隷も、主にあって召された者は、主に属する自由人であり、同じように、自由人も、召された者はキリストに属する奴隷だからです。
23 あなたがたは、代価をもって買われたのです。人間の奴隷となってはいけません。
24 兄弟たち。おのおの召されたときのままの状態で、神の御前にいなさい。
パウロは7:15で、「神は、平和を得させようとしてあなたがたを召されたのです。」と書きました。そこで、きょうの箇所では、平和な人生と神の召しとの関係について論じています。原則は、「召された時のままの状態で歩む」ということです。
この原則を具体的に適用すると、次のようになります。(1)召された時、ユダヤ人であったか異邦人であったかは、問題ではありません。割礼を受けていたのなら、その跡をなくす必要はないし、割礼を受けていなかったのなら、割礼を受けてはいけません。割礼があるかどうかは問題にはなりません。重要なのは、新しい生まれ変わりであり、神の命令を守ることです。(2)奴隷であったか自由人であったかも、問題ではありません。これは、パウロが奴隷制を容認していたということではありません。その証拠に彼は、「しかし、もし自由の身になれるなら、むしろ自由になりなさい。」と教えています。パウロは、社会的な平等を達成することよりも、無政府状態にならないことのほうをより優先させたのです。平和な秩序が保たれていることは、宣教活動を継続するための前提条件です。
クリスチャンにとって決定的に重要な真理とは、「あなたがたは、代価をもって買われたのです。人間の奴隷となってはいけません。」ということです。この真理に立つなら、地上の諸問題を新しい視点から見ることができるようになります。(1)クリスチャンの自由とは、あらゆるものから自由にされたということと、愛のゆえにキリストの奴隷となったという二点を含むものです。(2)これをもとに、パウロは驚くべき発言をしています。奴隷も主にある自由人であり、自由人もキリストに属する奴隷であると。それゆえ、召された時のままの状態で、神に仕えるのがよいのです。
神は目的をもってあなたを今の場所に置かれました。その場所で神の栄光を現すとはどういうことでしょうか。黙想してみましょう。
きょうの祈り
天の父なる神さま。私を自由人として召してくださったことを感謝します。どうか、キリストの奴隷として歩ませてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
年間聖書通読
ホセア書10~11、コロサイ人への手紙4
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