11 私はまた、彼に尋ねて言った。「燭台の右左にある、この二本のオリーブの木は何ですか。」
12 私は再び尋ねて言った。「二本の金の管によって油をそそぎ出すこのオリーブの二本の枝は何ですか。」
13 すると彼は、私にこう言った。「あなたは、これらが何か知らないのか。」私は言った。「主よ。知りません。」
14 彼は言った。「これらは、全地の主のそばに立つ、ふたりの油そそがれた者だ。」
ゼカリヤは【主】の使いに、「燭台の右左にある、この二本のオリーブの木は何ですか」と尋ねました。燭台、7 つのともしび皿、49 本の管などについては、彼は理解しました。しかし、2 本のオリーブの木は預言的には「新しい要素」だったので、それが何かと尋ねたのです。彼は、12節でさらに詳しく尋ねています。「二本の金の管によって油をそそぎ出すこのオリーブの二本の枝は何ですか」。「油」と訳されている言葉は、原語では「金」です。従って「金色の油」という意味になります。
その問いに関する回答は、「これらは、全地の主のそばに立つ、ふたりの油そそがれた者だ」(14節)というものでした。(1)「油そそがれた者」の直訳は「油の子たち」です。これは、神への奉仕のために聖霊の油そそぎを受けた者たちです。(2)ゼカリヤの時代の祭司的指導者はヨシュアであり、政治的指導者はゼルバベルです。この2本のオリーブの木は、この2人の指導者を指し示していると考えられます。(3)と同時に、祭司であり、王であるメシアを指し示しているとも言えます(このテーマは、ゼカ6章で取り上げます)。
しかし、2本のオリーブの木の究極的成就は、大患難時代にやって来ます。黙示録11:3 ~ 13に登場するふたりの証人がそれです。特に4節にはこうあります。「彼らは全地の主の御前にある二本のオリーブの木、また二つの燭台である」。(1)ふたりの証人は、大患難時代の前半の3年半に伝道しますが、ユダヤ人たちは彼らを拒否します。(2)彼らは、大患難時代の中間期に、反キリストによって殺されます。(3)彼らの死体は、エルサレムの街路に3日半の間、さらされます。(4)しかし、聖霊の力によって彼らは復活します。その後彼らは、雲に乗って天に上ります。(5)その時、次のような事が起こります。「そのとき、大地震が起こって、都の十分の一が倒れた。この地震のため七千人が死に、生き残った人々は、恐怖に満たされ、天の神をあがめた」(黙11:13)。これがユダヤ人の民族的回心につながります。
ふたりの証人は、イスラエルの民が「異邦人の光」となれるように、彼らに聖霊の油を届ける源となりました。ここでも、「小さな始まりを侮ってはならない」という原則が生きています。いかに小さな始まりであっても、それを軽んじてはなりません。小さな第一歩を踏み出す重要性を学ぼうではありませんか。
きょうの祈り
天の父なる神さま。大患難時代に、ふたりの証人が「油注がれた者」として立てられることを感謝します。小さな始まりが、大きな祝福につながります。このことを今心に銘記しました。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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