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使徒の働き7:51 ~ 53

51 かたくなで、心と耳とに割礼を受けていない人たち。あなたがたは、父祖たちと同様に、いつも聖霊に逆らっているのです。

52 あなたがたの父祖たちが迫害しなかった預言者がだれかあったでしょうか。彼らは、正しい方が来られることを前もって宣べた人たちを殺したが、今はあなたがたが、この正しい方を裏切る者、殺す者となりました。

53 あなたがたは、御使いたちによって定められた律法を受けたが、それを守ったことはありません。」

ステパノの弁明⑧

イスラエルの民の罪の糾弾

この箇所から、ステパノの弁明がクライマックスに入る。テーマは、イスラエルの民の罪の糾弾である。「かたくなで、心と耳とに割礼を受けていない人たち。あなたがたは、父祖たちと同様に、いつも聖霊に逆らっているのです」。(1)ここでのステパノの言葉と姿は、旧約聖書の預言者を彷彿ほうふつとさせる。これまで彼は三人称で語って来たが、ここからは、サンヘドリンの議員たちに対して二人称で激しく語りかける。(2)「かたくなで、心と耳とに割礼を受けていない人たち」という呼びかけは、これ以上ない厳しい言葉である。「かたくな」とは、イスラエルの民の傲慢な姿を表している(出32:9、33:3、5、34:9、申9:6、1016 参照)。「心と耳とに割礼を受けていない人たち」とは、悔い改めることのない心を表している(レビ2641、申1016、エレ4:4、6:10、9:26、エゼ44:7 参照)。「いつも聖霊に逆らっている」という描写びょうしゃは、イザヤ6310 の内容と同じである。
「あなたがたの父祖たちが迫害しなかった預言者がだれかあったでしょうか。彼らは、正しい方が来られることを前もって宣べた人たちを殺したが、今はあなたがたが、この正しい方を裏切る者、殺す者となりました」。(1)先祖たちの罪とは、預言者たちを迫害した罪である。彼らは、「正しい方」(メシア)の到来を預言した預言者たちを殺した。(2)これまでステパノは、イエスという名を出すことをひかえて来たが、ここにいたってイエスを全面に押し出す。ここでは、「正しい方」がイエスである。「正しい方」とは、受難のしもべのタイトルである(イザ5311)。イスカリオテのユダの罪は裏切りであるが、サンヘドリンの罪は、裏切り+殺人である。(3)イスラエルの民は、一貫して神に反抗し、律法を否定して来た。イスラエルの民の反抗は、ヘブル語聖書の証言とも合致している(2 歴361516)。
歴史は、神の栄光というゴールに向かって進んで行く。神の経綸けいりん(ディスペンセーション)は、律法の時代から恵みの時代に入った。つまり、律法の時代において神殿が持っていた役割は終わり、モーセの律法が要求する祭儀さいぎの体系も終わったということである。恵みの時代になり、異邦人もまた、イエス・キリストを信じる信仰によって救われるようになった。私たちは今、モーセの律法の下ではなく、キリストの律法の下にいる。キリストにある自由を奪われてはならない。

きょうの祈り

天の父なる神さま。今は恵みの時代、救いの時です。キリストにある自由を感謝します。きょうも信仰によって歩ませてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

エゼキエル書12~13、ガラテヤ人への手紙4