24 サウルはサムエルに言った。「私は罪を犯しました。私は主の命令と、あなたのことばにそむいたからです。私は民を恐れて、彼らの声に従ったのです。
25 どうか今、私の罪を赦し、私といっしょに帰ってください。私は主を礼拝いたします。」
26 すると、サムエルはサウルに言った。「私はあなたといっしょに帰りません。あなたが主のことばを退けたので、主もあなたをイスラエルの王位から退けたからです。」
27 サムエルが引き返して行こうとしたとき、サウルはサムエルの上着のすそをつかんだので、それが裂けた。
28 サムエルは彼に言った。「主は、きょう、あなたからイスラエル王国を引き裂いて、これをあなたよりすぐれたあなたの友に与えられました。
29 実に、イスラエルの栄光である方は、偽ることもなく、悔いることもない。この方は人間ではないので、悔いることがない。」
30 サウルは言った。「私は罪を犯しました。しかし、どうか今は、私の民の長老とイスラエルとの前で私の面目を立ててください。どうか私といっしょに帰って、あなたの神、主を礼拝させてください。」
31 それで、サムエルはサウルについて帰った。こうしてサウルは主を礼拝した。
前回の箇所で、罪人の特徴は言い逃れをすることであると書きました。罪人のもう一つの特徴は、表面的な悔い改めをするということです。ここでもサウルは、「私は罪を犯しました」と語っています。しかしこれは、罪を犯したという事実を述べているだけで、真の悔い改めとはほど遠いものです。聖書の中には、このように単に後悔しただけの人物が何人か出てきます。(1)出エジプト記のパロがそうです。(2)ヨシュア記のアカンがそうです。(3)イエスを売り渡したイスカリオテのユダがそうです。彼らは後悔はしましたが、命に至る悔い改めを示すことはありませんでした。
さらにサウルは、「私は民を恐れて、彼らの声に従ったのです」と語っています。神を恐れるよりも、人を恐れるのが罪人の第三の特徴です。そのような者に、指導者として民を導けるはずがありません。
サウルは、主を礼拝しに行くからとサムエルに同道を求めました。サムエルがこれをきっぱりと断わると、サウルはサムエルを引きとめようとして上着の裾をつかみます。すると、サムエルの上着が裂けてしまいます。それを見たサムエルは、その状況を象徴的に理解して、これは王国が引き裂かれてサウルよりも立派な彼の友に与えられるしるしであると宣言します。「立派な彼の友」とはダビデのことですが、この時点ではサムエルはそのことを知りませんでした。この時点で、サウルの治世は実質的には終わりを迎えます。「この方は人間ではないので、悔いることがない」とは、神のこの決定は覆ることはないという意味です。それでもサウルは、少なくとも体面だけは保たせてほしいとサムエルに願います。サムエルはその願いに応じ、ともに民のいる所に行き、そこで主を礼拝します。サムエルの優しさが表われている箇所です。サウルは、民の歓心を買うことと、民の中で面目を保つことに一番興味があったようです。
使徒パウロは、「もし私がいまなお人の歓心を買おうとするようなら、私はキリストのしもべとは言えません」(ガラテヤ1:10)と語っています。クリスチャンには、神以外に恐れるものはないことを確信して、この世に出て行きましょう。
きょうの祈り
天の父よ。人の歓心を買おうとするような生き方から私を解放してください。あなただけが私の神であり、救い主です。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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