17 夕方になって、イエスは十二弟子といっしょにそこに来られた。
18 そして、みなが席に着いて、食事をしているとき、イエスは言われた。「まことに、あなたがたに告げます。あなたがたのうちのひとりで、わたしといっしょに食事をしている者が、わたしを裏切ります。」
19 弟子たちは悲しくなって、「まさか私ではないでしょう」とかわるがわるイエスに言いだした。
20 イエスは言われた。「この十二人の中のひとりで、わたしといっしょに鉢に浸している者です。
21 確かに、人の子は、自分について書いてあるとおりに、去って行きます。しかし、人の子を裏切るような人間はわざわいです。そういう人は生まれなかったほうがよかったのです。」
最後の晩餐と言われるのは、過越の食事のことです。当時は左手を床について横になった姿勢で食事をしました。以下、通常の過越の食事の順序です。(1)第一の杯が配られます。これを「感謝の杯」と呼びます。(2)次に、その家の母か娘が、水の入った鉢とタオルを持って回ります。食卓に着いた人たちはその水で指を洗い、タオルで拭きます。ヨハネの福音書13章によれば、この食事ではイエス自らがそれを行なっています。さらに、指ではなく弟子たちの足を洗っておられます。これは弟子たちに愛と謙遜を教えるためでしたが、イエスが僕の姿を取るのを見た弟子たちは仰天したことでしょう。(3)次に、第二の杯が配られます。これを「裁きの杯」と言いますが、福音書にはこの杯への言及はありません。(4)その次に、パセリを塩水に浸して食べます。パセリの緑色は、若さの象徴です。これは、「イスラエルがまだ若い国であったとき、神は紅海を通って彼らを救われた」ということを象徴的に表わしています。(5)次に、種なしパンを食べます。これは、次回詳細に学びます。
イエスは、すでにユダの裏切りをご存知でした。第一回目の予告は、ヨハネの福音書13:21に出ています。弟子たちは、自分たちの中の誰かがイエスを裏切るようになるということを知らされました。きょうの箇所では、第二回目の予告が語られ、裏切り者がユダであることが明らかになります。「わたしといっしょに鉢に浸している者です」とありますが、これは、上の(4)で説明したパセリを塩水に浸す行為です。塩水の鉢は、数人に一つの割合で置かれていました。イエスとユダとは同じ塩水の鉢にパセリを浸して食べたのです。
イエスは、ユダにだけわかる形で警告を発しています。ユダが悔い改めることを願われたからです。しかしユダは、「先生。まさか私のことではないでしょう」(マタイ26:25)としらばくれています。悔い改めのない者には、救いの可能性は残されていません。イエスの前に正直に自分の罪を告白する者こそ、最後に祝福を受ける者です。主の恵みによりすがりましょう。
きょうの祈り
天の父なる神さま。どうか私に、柔らかい心、砕かれた心をお与えください。あなたはそれを決して軽んじられることはありません。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
年間聖書通読
創世記21~22、マルコの福音書 9
ハーベスト・タイムによる無料の聖書講解動画(音声)サイト。
最新のメッセージ
毎朝6時にきょうの【クレイ】が
あなたのLINEに届きます!
» 登録はこちら