32 ただし、その日、その時がいつであるかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます。
33 気をつけなさい。目をさまし、注意していなさい。その定めの時がいつだか、あなたがたは知らないからです。
34 それはちょうど、旅に立つ人が、出がけに、しもべたちにはそれぞれ仕事を割り当てて責任を持たせ、門番には目をさましているように言いつけるようなものです。
35 だから、目をさましていなさい。家の主人がいつ帰って来るか、夕方か、夜中か、鶏の鳴くころか、明け方か、わからないからです。
36 主人が不意に帰って来たとき眠っているのを見られないようにしなさい。
37 わたしがあなたがたに話していることは、すべての人に言っているのです。目をさましていなさい。」
前回の箇所では、「荒らす憎むべきもの」の出現から3年半後に、主の地上再臨があると解説しました。地上再臨は、教会の聖徒たちが天に挙げられる携挙とは別のものです。きょうの箇所で語られているのは、その携挙のことです(ルカ21:34~36参照)。
携挙に関してイエスは次のように語られました。(1)その時がいつであるかは、だれにもわからない。イエスにも、天使にもわかりません。父なる神だけがご存知です。ということは、その時がいつかを予告する人々は、それだけで聖書的ではないということになります。私たちに啓示されているのは、携挙は大患難時代の前のある時点で起こるということだけです。携挙の時を予測するのは、全く非聖書的なことです。(2)携挙の前には、何のしるしも与えられません。つまり、人々がいつものように日常生活を送っている時に、突然、携挙が起こるということです。それはノアの時代に洪水が襲った時と同じです。人々は、飲み食いし、めとったり、嫁いだりしていました。これらのことは、悪いことではなく日常生活の一部です。そのような時に、大洪水が襲ったのです。
イエスは、霊的に目を覚ましていることの必要性を教えるために、旅立つ主人のたとえを語られました。(1)主人は、僕たちにそれぞれ仕事を割り当て、門番には目を覚ましているように命じて、旅立ちました。(2)その主人がいつ帰って来るのか、だれにもわかりません。いつ帰って来ても大丈夫なように、目を覚ましている必要があります。(3)主人が不意に帰って来た時、眠っている僕と目を覚ましている僕とが出ます。主人から賞賛の声をいただけるのは、目を覚ましている僕です。
主を迎える準備ができている人とは、どういう人でしょうか。それは、主イエスを救い主として信じ、信仰によって義とされている人、神の前に立つ用意ができている人のことです。イエスを信じていない人は、まだ準備ができていない人、目を閉じている人です。あなたはどちらですか。神の前に立つ準備ができていない人のために、執りなしの祈りを捧げましょう。熱心に福音を伝えましょう。
きょうの祈り
イエス・キリストの父なる神さま。信仰によって、主イエスを迎える準備ができていますから感謝します。どうか、日々霊的に目を覚まし続けることができますように、私を励ましてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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