14 こうして、彼女は朝まで彼の足のところに寝たが、だれかれの見分けがつかないうちに起き上がった。彼は、「打ち場にこの女の来たことが知られてはならない」と思ったので、
15 「あなたの着ている外套を持って来て、それをしっかりつかんでいなさい」と言い、彼女がそれをしっかりつかむうちに、大麦六杯を量って、それを彼女に負わせた。こうして彼は町へ行った。
16 彼女がしゅうとめのところに行くと、しゅうとめは尋ねた。「娘よ。どうでしたか。」ルツは、その人が自分にしたことをみな、しゅうとめに告げて、
17 言った。「あなたのしゅうとめのところに素手で帰ってはならないと言って、あの方は、この大麦六杯を私に下さいました。」
18 しゅうとめは言った。「娘よ。このことがどうおさまるかわかるまで待っていなさい。あの方は、きょう、そのことを決めてしまわなければ、落ち着かないでしょうから。」
あなたは、「待つこと」のできる人物ですか。あるいは、待てないで自分から動いてしまう傾向のある人物ですか。待つことは、信仰の重要な要素です。
(1)ボアズは配慮のある人格者です。妙なうわさが立つことを恐れた彼は、夜明け前の暗い時間に、ルツを送り返しています。(2)また彼は、大麦6杯をルツに持たせ、それを姑のナオミへの贈り物にしています。(3)さらに彼は、すぐさま行動を起こし、町に出かけています。
ルツはすべてのことをなし終え、ナオミの元に帰ってその報告をしています。ナオミはルツに、「娘よ。このことがどうおさまるかわかるまで待っていなさい。あの方は、きょう、そのことを決めてしまわなければ、落ち着かないでしょうから」と助言しています。ルツにできたのは、座して待つことだけでした。
ナオミは、「あの方(ボアズ)は、きょう、そのことを決めてしまわなければ、落ち着かないでしょうから」と語りましたが、そのとおりでした。ボアズはルツと彼女の土地を買い戻すために、行動を起こします。そのボアズは、ルツにとっては愛すべき人、信頼に足る人でした。
私たちにとってのボアズとは、イエス・キリストのことです。主イエスは私たちの命を買い戻す権利のある方として、この地上に来てくださいました。そして、十字架の上で代価を払って贖いの業を完成させてくださいました。「キリストは、すべての人の贖いの代価として、ご自身をお与えになりました。これが時至ってなされたあかしなのです」(Iテモテ2:6)とあるとおりです。人生には、自分の努力や頑張りではどうしようもないことが多くあります。自分の役割を終えたなら、あとは主イエスに委ねることを学びましょう。ルツのように、座して待つ信仰を身につけるなら、私たちの魂は平安で満たされるはずです。
「静まって、わたしこそ神であることを知れ。わたしはもろもろの国民のうちにあがめられ、全地にあがめられる」(詩篇46:10/口語訳)。
きょうの祈り
イエス・キリストの父なる神さま。ルツがボアズを信頼したように、私たちは主イエスに信頼します。どうか、最善の時に、最善の事を行なってください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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