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ローマ人への手紙12:1 〜 2

1 そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。

2 この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。

献身の勧め(7)

「神のみこころ」

ロマ書12:1〜2を7回に分けて学んできましたが、これがその最終回です。パウロは、「神に関する知識を日々更新することによって、キリストの似姿に造り変えていただきなさい」(意訳)と勧めました。これから、その続きの部分を学びます。
3つの訳文を比較してみましょう。「神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、」(新改訳)。「何が神の御心であるか、何がいことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい」(新共同訳)。「何が神の御旨みむねであるか、何がぜんであって、神に喜ばれ、かつまったきことであるかを、わきまえ知るべきである」(口語訳)。(1)この部分を目的節に訳しているのは、新改訳です。結果節に訳しているのは、新共同訳と口語訳です。(2)個人的には、後者がいいと思います。その場合は、「キリストの似姿に造り変えていただいた」結果、神の御心をわきまえ知るようになるという意味になります。聖化の証拠と祝福は、神の御心と自分の判断とが合致がっちすることです。

「わきまえ知る」

「わきまえ知る」は、ギリシア語では「ドキマゾウ」という動詞です。(1)「わきまえ知る」=わきまえる+知る、です。これは、「試し、検証した結果、欠点がない、よいことだと、判断する」という意味です。(2)「わきまえ知る」力がある人は、「この時代」の型から自由になっている人です。時代の世界観に影響を受けず、神の国の世界観で生きている人です。(3)神の御心を知って、それを実行することが信者の人生です。神の御心の特徴は、 良いこと、 神に受け入れられること、 完全なことなどです。
神の働きかけに日々応答している人は、この判断ができるようになります。クリスチャン生活が「つまらない」ということは、あり得ません。最後にもう一度、ロマ書12:1〜2を朗読してみましょう。「そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい」

きょうの祈り

天の父なる神さま。あなたの御心をわきまえ知るために、さらに聖化の過程を歩ませてください。私を造り変えてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

民数記15~16、マタイの福音書9