1 兄弟たち。私が心の望みとし、また彼らのために神に願い求めているのは、彼らの救われることです。
2 私は、彼らが神に対して熱心であることをあかしします。しかし、その熱心は知識に基づくものではありません。
これまでにパウロは、イスラエルがメシアを拒否した理由は、彼らの頑なさにあると書いてきました。その背後には、①神の主権による選びと、②人間の側の責任があります。そしてきょうの箇所から、「神の義についての無知」というテーマが取り上げられます。
「兄弟たち。私が心の望みとし、また彼らのために神に願い求めているのは、彼らの救われることです」(1節)。(1)これは、パウロの個人的願望です。内容は、9:1と同じです。(2)神の選びの教理を真剣に教えたパウロが、同時に、イスラエル人の救いのために熱心に祈っています。パウロのこの姿勢から、教訓を学ぶことができます。誰が救われるかは、神の神秘です。私たちにはそれが分からないのですから、熱心に伝道と祈りに励まなければなりません。
「私は、彼らが神に対して熱心であることをあかしします。しかし、その熱心は知識に基づくものではありません」(2節)。(1)パウロは自らを証人にして、イスラエル人が神に対して熱心であることを証言しています。彼は、かつてはパリサイ派に属していましたので、これは目撃者の証言です。(2)イスラエル人たちは、神に対して熱心です。「熱心に神に仕えている」(新共同訳)という訳もあります。彼らは、神についての知識を有しているのです。ところが、彼らのその熱心さが、パウロの痛みの原因となっています。(3)「しかし、その熱心は知識に基づくものではありません」とパウロは言います。新共同訳は、「この熱心さは、正しい認識に基づくものではありません」と訳しています。ここでの「知識」は、一般的な「グノーシス」という言葉ではなく、「エピグノーシス」(完全な知識)です。つまりイスラエル人は、神に関する知識を持ってはいたが、キリストにあって神を知ることはなかった、という意味です。
ホセア書4:6にこうあります。「わたしの民は知識がないので滅ぼされる。あなたが知識を退けたので、わたしはあなたを退けて、わたしの祭司としない。あなたは神のおしえを忘れたので、わたしもまた、あなたの子らを忘れよう」。人は、熱心さや誠実さだけで救われるのではありません。神に関する正しい知識がなければ、救いは得られません。私たちは、キリストにあって神を知り、義とされ、聖化され、救いの完成に到達します。「キリストにあって」というのがキーワードです。
きょうの祈り
天の父なる神さま。イエスを救い主と信じた瞬間に、私はキリストの内に置かれました。キリストにあってあなたを知る知識を得たことを感謝します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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