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ローマ人への手紙10:3 〜 5

3 というのは、彼らは神の義を知らず、自分自身の義を立てようとして、神の義に従わなかったからです。

4 キリストが律法を終わらせられたので、信じる人はみな義と認められるのです。

5 モーセは、律法による義を行う人は、その義によって生きる、と書いています。

律法による義

イスラエル人の無知

パウロは、「私は、彼らが神に対して熱心であることをあかしします。しかし、その熱心は知識に基づくものではありません」(2節)と言いました。きょうの箇所では、その「無知」の内容が明かされます。「というのは、彼らは神の義を知らず、自分自身の義を立てようとして、神の義に従わなかったからです」(3節)。(1)「神の義」とは、パウロが1〜8章で論じてきた内容です。神は、信仰と恵みによって、人を義としてくださるのです。(2)彼らは、自分自身の義を立てようとしました。それは、律法を行うことによる義です。(3)自分自身の義を立てることは、必然的に神の義を拒否することです。
「キリストが律法を終わらせられたので、信じる人はみな義と認められるのです」(4節)。彼らは、この4節の真理について無知でした(非常に難解な聖句です)。他の訳を見てみましょう。「キリストは、すべて信じる者に義を得させるために、律法の終りとなられたのである」(口語訳)。「キリストは律法の目標であります、信じる者すべてに義をもたらすために」(新共同訳)。ここでは、「テロス」というギリシア語をどう訳すかが問題となります。(1)この言葉には、「終わり」という意味があります。その場合は、「律法の終わり」となります。(2)「目標(ゴール)」という意味もあります。その場合は、「律法の目標」となります。(3)両方の意味があると考えると、4節の訳はこうなります。「キリストは、律法の要求をすべて満たし、それを終わらせた。また、律法が与えられた目的は、人をキリストに導くためである」。ユダヤ人たちは、その両方の意味を見失いました。

レビ記18:5

「モーセは、律法による義を行う人は、その義によって生きる、と書いています」(5節)。パウロは、律法による義が不可能であることを証明するために、レビ記を引用します。「あなたがたは、わたしのおきてとわたしのさだめを守りなさい。それを行う人は、それによって生きる。わたしは【主】である」(レビ18:5)。(1)「それを行う人は、それによって生きる」とあります。つまり、それを行わなかったなら、生きられないということです。(2)律法を完全に行うことは不可能です。律法による義が不可能なら、信仰による義しか救いの道は残されていません。
信仰により、恵みによって救われていることを感謝しようではありませんか。

きょうの祈り

天の父なる神さま。行いによる義ではなく、信仰による義が与えられていることを感謝します。きょうも、あなたの恵みに感謝しながら歩ませてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

出エジプト記29 ~ 30、ヨハネの福音書13