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ローマ人への手紙8:17

17 もし子どもであるなら、相続人でもあります。私たちがキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります。

神の子の特権とは何か

神の相続人

「聖化」というテーマでの学びを続けてきましたが、きょうの箇所でそれが終わり、次回からは「栄化」の学びに入ります。
17節にはこうあります。「もし子どもであるなら、相続人でもあります。私たちがキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります」。(1)「もし」とは、「神の子どもなのだから」という意味です。信者である私たちに与えられている特権は、相続人とされたということです。(2)他の書簡でもこれと同じ真理が教えられています。ガラテヤ4:7 には、「ですから、あなたはもはや奴隷ではなく、子です。子ならば、神による相続人です」とあります(テト3:7も参照)。
私たちは、キリストとの共同相続人とされました。つまり、キリストが受けるものを私たちも受けるということです。これは、預言的言葉です。キリストが何をお受けになるのかを考えると、私たちに約束されている祝福の大きさに仰天させられます。キリストは地上の王国をお受けになります。そして、私たちはその共同相続人となります。

苦難は栄光への道

キリストは苦難を通過して栄光に入られた。私たちは今、キリストのうちにあります。つまり、キリストに起こったことは、私たちにも起こるということです。私たちは、キリストが通過したのと同じ道を通り、栄光に入ります。苦難の意味について、1ペテロ4:1213にはこうあります。「愛する者たち。あなたがたを試みるためにあなたがたの間に燃えさかる火の試練を、何か思いがけないことが起こったかのように驚きあやしむことなく、むしろ、キリストの苦しみにあずかれるのですから、喜んでいなさい。それは、キリストの栄光が現れるときにも、喜びおどる者となるためです」。(1)信者が通過する苦難は、贖罪しょくざいのための苦難ではありません。贖罪の業はすべてキリストによって完成しました。(2)私たちが通過する苦難は、「この世」との戦いという苦難です。(3)苦難があるのは、神から愛されていないからではありません。むしろ、苦難は栄光への道をたどっている証拠なのです。
共同相続人として苦難の道をたどっているという事実が、私たちを「栄化」へと導きます。栄光の未来を待ち望む人は、苦難さえも喜ぶことができる信仰へと導かれます。

きょうの祈り

天の父なる神さま。私に栄光の未来を見せてくださり感謝します。どうか私に、苦難さえも喜ぶことができる信仰をお与えください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

創世記 3~4、マルコの福音書 1