15 それではどうなのでしょう。私たちは、律法の下にではなく、恵みの下にあるのだから罪を犯そう、ということになるのでしょうか。絶対にそんなことはありません。
16 あなたがたはこのことを知らないのですか。あなたがたが自分の身をささげて奴隷として服従すれば、その服従する相手の奴隷であって、あるいは罪の奴隷となって死に至り、あるいは従順の奴隷となって義に至るのです。
17 神に感謝すべきことには、あなたがたは、もとは罪の奴隷でしたが、伝えられた教えの規準に心から服従し、
18 罪から解放されて、義の奴隷となったのです。
19 あなたがたにある肉の弱さのために、私は人間的な言い方をしています。あなたがたは、以前は自分の手足を汚れと不法の奴隷としてささげて、不法に進みましたが、今は、その手足を義の奴隷としてささげて、聖潔に進みなさい。
20 罪の奴隷であった時は、あなたがたは義については、自由にふるまっていました。
21 その当時、今ではあなたがたが恥じているそのようなものから、何か良い実を得たでしょうか。それらのものの行き着く所は死です。
22 しかし今は、罪から解放されて神の奴隷となり、聖潔に至る実を得たのです。その行き着く所は永遠のいのちです。
23 罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。
15〜 23節を4 回に分けて学んできましたが、きょうはその4回目、「まとめ」です。「罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです」(23節)。(1)かつての私たちは、罪の奴隷でした。その当時の私たちは、「罪」という主人に仕えていました。ここでは、「罪」が擬人法で語られています。その主人が、私たち奴隷に報酬を与えます。報酬とは、働きに対する当然の報いです。そして、主人から来る報酬とは、死です。(2)「報酬」という言葉は、ギリシア語で「オプソウニオン」です。この言葉は、将軍が兵士に支払う給与のことです。そしてそれは、毎日支払われるものです。日当、賃金、などの訳語がふさわしいでしょう。
今の私たちは、キリストの内にあります。(1)つまり、私たちの新しい主人は、キリストだということです。その主人から賜物が与えられます。それが永遠のいのちです。(2)賜物は報酬とは違います。受ける資格がないのに、恵みによって与えられるのです。賜物は、ギリシア語で「カリスマ」と言います。
以上のことが、神が創造した世界にある霊的法則です。物理的法則を無視して生きることができないのと同様に、霊的法則を無視して生きることはできません。
聖化の速度について、短く説明します。まず、クリスチャンに与えられている祝福を思い起こしましょう。① 一度キリストを信じたなら、救いを失うことはありません。② 信じた人には、永遠のいのちが保障されています。③ また、聖化の完成も保障されています。
次に、聖化の速度は人によって異なることを理解しましょう。① クリスチャンになっても、罪を犯すことはあり得ますが、それは必然ではありません。② 日々、キリストの奴隷としての選びをしている人は、聖化の速度が速くなります。③ 不従順な人は、神からの矯正的裁きを受けます。それは苦しいことです。
努力によって聖化の速度を速めようとすると、失敗します(7章の内容)。聖化は、聖霊の働きによって可能となります(8章の内容)。以上のことを覚え、きょうも恵みにより、聖霊の力によって生きることを志そうではありませんか。
きょうの祈り
天の父なる神さま。キリストにあって私に賜物を与えてくださることを感謝します。自力ではなく、恵みにより、聖霊の力によって、日々歩ませてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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