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ローマ人への手紙4:13 〜 16

13 というのは、世界の相続人となるという約束が、アブラハムに、あるいはまた、その子孫に与えられたのは、律法によってではなく、信仰の義によったからです。

14 もし律法による者が相続人であるとするなら、信仰はむなしくなり、約束は無効になってしまいます。

15 律法は怒りを招くものであり、律法のないところには違反もありません。

16 そのようなわけで、世界の相続人となることは、信仰によるのです。それは、恵みによるためであり、こうして約束がすべての子孫に、すなわち、律法を持っている人々にだけでなく、アブラハムの信仰にならう人々にも保証されるためなのです。「わたしは、あなたをあらゆる国の人々の父とした」と書いてあるとおりに、アブラハムは私たちすべての者の父なのです。

アブラハムと義認(4)

相続人の約束をどう考えるか

きょうの箇所では、「相続人の約束」についての論考が展開されます。パウロは、これもまた律法によるのではなく、信仰の義によるというのです(13節)。(1)世界の相続人となるという約束は、アブラハムとその子孫に与えられました。(2)ここで思い出すのは、カナンの地がアブラハムとその子孫に約束されたということです。この概念(確信)は、ユダヤ人の思索と歴史に大きな影響を与えました。シオン(エルサレム)に対する憧憬どうけいは、ユダヤ人の歴史をつらぬく民族的本能です。バビロン捕囚の時代(詩137)も、紀元70年以降の世界離散の時代も、この憧憬はユダヤ人の心の中に生き続けました。それが具体的な形を取って現れたのが、20世紀のシオニズム運動です。シオン(エルサレム)への帰還という夢が、ユダヤ民族を一つにしました。「いつかアブラハムは復活し、約束の地を受け継ぐようになる」というのが、ユダヤ人の確信です。(3)この約束は、律法を行うことによってではなく、信仰の義によって与えられました。なぜなら、アブラハムはモーセの律法よりも前の人だからです。救いも、アブラハム契約の約束も、律法を行うことによるのではないのです。

律法か信仰か

「もし律法による者が相続人であるとするなら、信仰はむなしくなり、約束は無効になってしまいます」(14節)とあります。(1)律法を行う者が相続人であると言った場合の問題点は、何でしょうか。信仰はむなしくなる(無意味になる。役立たずになる)、また、約束は無効になる(廃止されたことになる)というのがそれです。なぜなら、誰も律法を守り切ることはできないからです。(2)次の1516節は、1314節を証明しています。「律法は怒りを招くものであり、律法のないところには違反もありません。そのようなわけで、世界の相続人となることは、信仰によるのです。それは、恵みによるためであり、こうして約束がすべての子孫に、すなわち、律法を持っている人々にだけでなく、アブラハムの信仰にならう人々にも保証されるためなのです。…アブラハムは私たちすべての者の父なのです」
信仰があれば、ユダヤ人でも異邦人でも、義認を受け、相続人となります。私たちは、信仰によって世界の相続人とされました。その特権に感謝し、それが実現する時を待ち望みつつ地上生涯を送ろうではありませんか。

きょうの祈り

イエス・キリストの父なる神さま。信仰によって世界の相続人とされたことを感謝します。その確信によって地上生涯を歩ませてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

ダニエル書5~6、詩篇123 ~ 124