1 神の福音のために選び分けられ、使徒として召されたキリスト・イエスのしもべパウロ、
2 ─この福音は、神がその預言者たちを通して、聖書において前から約束されたもので、
3 御子に関することです。御子は、肉によればダビデの子孫として生まれ、
4 聖い御霊によれば、死者の中からの復活により、大能によって公に神の御子として示された方、私たちの主イエス・キリストです。
5 このキリストによって、私たちは恵みと使徒の務めを受けました。それは、御名のためにあらゆる国の人々の中に信仰の従順をもたらすためです。
6 あなたがたも、それらの人々の中にあって、イエス・キリストによって召された人々です、─このパウロから、
7 ローマにいるすべての、神に愛されている人々、召された聖徒たちへ。私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安があなたがたの上にありますように。
今回は、パウロのあいさつ文の学びの9回目です。すでに見たように、2 〜 6節はあいさつ文の中の「挿入句」に当たります。その中でパウロは、福音の内容を要約しています。きょうは、「神の義を宣言する器」としてのパウロについて考えてみましょう。
「私たち」という言葉に注目しましょう。これは、ローマの信者を含めた「私たち」ではありません。使徒たち全員を含めた「私たち」の可能性はあります。最も可能性が高いのは、パウロ個人のことを示す「私たち」です。これはギリシヤ語ではよくある使用法です。日本語でも、「わたくし・ども(私共)」という言葉は単数・複数にかかわらず用いられる謙譲語です。
「このキリストによって」とありますが、ギリシヤ語の「ディア」の第一義的意味は「通して」です。キリストは、父なる神のみわざが私たちに届けられるための管であり手段です。旧約聖書では、大祭司が神と民とをつなぐ管となり、手段となりました。日本人が「仲介者」の必要性を感じないのは、神を地上レベルに引き下ろしているからです。実に、私たちが受けるすべての良きものは、キリストを通して与えられるのです。
彼は、2つのものを受けました。(1)恵み(カリス)。これは、罪人に与えられる神のあわれみ、一方的な愛のことです。また、神の聖さが人間に影響を与え、信仰による救いを得させることでもあります。パウロもまた、このような一般的な意味での恵みを受けました。彼の場合は、さらに、使徒としての使命を果たすための力を受けました。(2)使徒の務め(使徒職のこと)。パウロにとっては、恵みは使徒職の土台です。彼は、使徒は神の代理人であるとの意識を強く持っていました。それゆえ、神の代理人として語るのです。パリサイ派の学びの中心は、暗記です。自分の師から受けたことを、その師の名によって、そのまま次の世代に伝えるのです。日本的宗教観との違いは明白です。「宗教とは人間の知能による発明であり、人々に受け入れられた時、それが広まる」と多くの日本人が考えています。しかし、聖書の啓示はそのような人間臭いものではありません。
恵み(権威)と責務の関係に注目しましょう。恵み(権威)なき責務はなく、責務なき恵み(権威)もない。これは普遍的真理であり、そのままクリスチャン生活に当てはまるものです。
きょうの祈り
イエス・キリストの父なる神さま。恵みを受けた者には、責務が与えられています。どうかキリストのしもべとして歩ませてください。イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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