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出エジプト記29:10 〜 14

10 あなたが、雄牛を会見の天幕の前に近づけたなら、アロンとその子らがその雄牛の頭に手を置く。

11 あなたは、会見の天幕の入口で、【主】の前に、その雄牛をほふり、

12 その雄牛の血を取り、あなたの指でこれを祭壇の角につける。その血はみな祭壇の土台に注がなければならない。

13 その内臓をおおうすべての脂肪、肝臓の小葉、二つの腎臓と、その上の脂肪を取り、これらを祭壇の上で焼いて煙にする。

14 ただし、その雄牛の肉と皮と汚物とは、宿営の外で火で焼かなければならない。これは罪のためのいけにえである。

雄牛のいけにえ(2)

宿営の外

いけにえの雄牛とキリストを対比させてみよう。
(1)出エジプト29:14 には、こうあった。「ただし、その雄牛の肉と皮と汚物とは、宿営の外で火で焼かなければならない。これは罪のためのいけにえである」。肉と皮と汚物は、汚れた物の象徴である。それを火で焼く場所は、「宿営の外」である。「宿営の外」とは、荒野でイスラエルの民が天幕を張って生活している居住区の外のことで、汚れた物は「宿営の外」で処分される。
(2)ヘブル13:11 〜 12 は、キリストが汚れたものとして宿営の外で処分されたことを教えている。「動物の血は、罪のための供え物として、大祭司によって聖所の中まで持って行かれますが、からだは宿営の外で焼かれるからです。ですから、イエスも、ご自分の血によって民を聖なるものとするために、門の外で苦しみを受けられました」
(3)ヘブル13:13 〜 14 は、その真理の適用である。「ですから、私たちは、キリストのはずかしめを身に負って、宿営の外に出て、みもとに行こうではありませんか。私たちは、この地上に永遠の都を持っているのではなく、むしろ後に来ようとしている都を求めているのです」。キリストは城壁の外、ゴルゴタの丘で十字架刑に処せられた。その死によって私たちは救われた。それゆえ、キリストの弟子たる者は、この世に受け入れられることを求めるべきではない。この世は、いつまでも続く都ではない。むしろ私たちは、宿営の外に出てキリストと共に歩む道を選ぶべきである。私たちが求めているものは、地上の都ではなく、天の都だからである。
私たちに、宿営の外に出て行く決意はあるだろうか。自力ではそれはできないが、キリストと共になら、できる。私たちは、この世で生きているが、この世のものではない。「もしあなたがたがこの世のものであったなら、世は自分のものを愛したでしょう。しかし、あなたがたは世のものではなく、かえってわたしが世からあなたがたを選び出したのです。それで世はあなたがたを憎むのです」(ヨハ15:19)

きょうの祈り

イエス・キリストの父なる神さま。私の国籍は天にあります。それゆえ、この世の価値観という宿営を出て、神の国の価値観に生きることを決意します。主イエスとともに歩むなら、それが可能となります。主の御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

イザヤ書64~65、箴言30