24 モーセはしゅうとの言うことを聞き入れ、すべて言われたとおりにした。
25 モーセは、イスラエル全体の中から力のある人々を選び、千人の長、百人の長、五十人の長、十人の長として、民のかしらに任じた。
26 いつもは彼らが民をさばき、むずかしい事件はモーセのところに持って来たが、小さい事件は、みな彼ら自身でさばいた。
27 それから、モーセはしゅうとを見送った。彼は自分の国へ帰って行った。
「モーセはしゅうとの言うことを聞き入れ、すべて言われたとおりにした」。彼は、千人の長、百人の長、五十人の長、十人の長を任命した。その結果、組織的に役割の分担が確認された。長となった者たちは、難しい事件はモーセのところに持って来たが、小さい事件は自分たちで裁いた。ここから、リーダーのあるべき姿について学ぶことができる。(1)モーセには、熱心さ(勤勉)があった。彼は、フォロワーよりも多く働くという決意を持っていた。(2)彼には、謙遜(心が柔らかい)という資質があった。民数記12:3 には、「さて、モーセという人は、地上のだれにもまさって非常に謙遜であった」とある。イテロはモーセのしゅうとであり、年長者である。しかし、神に関する知識においては、モーセの方が格段に上である。モーセは、そのようなイテロの助言を受容し、実行に移した。(3)良きリーダーは、良きフォロワーでもある。このことを心に留めよう。
イテロは、安心してミデヤンの地に帰って行った。老年のゆえに、約束の地への旅には加わらなかったが、彼の子孫たちは、イスラエルの民とともに約束の地に住むようになる(士1:16 に出て来るケニ人の子孫、1 歴代誌2:55 に出て来るレカブ家、エレミヤ35:1 〜 19 に出て来るレカブ人の家)。
モーセには実行力があったが、真の実行力と暴走する力とは大いに異なる。聖書的リーダーシップとは、神の御心に沿って物事を実行する力のことである。(1)実は、イテロの助言を受け入れたモーセが、それを実行に移すまでにかなりの時間の経過がある。申命記1:9 〜 18 で、モーセはイテロの案を採用しているが、そのタイミングは、モーセの律法が与えられて以降のことである。「私ひとりで、どうして、あなたがたのもめごとと重荷と争いを背負いきれよう。あなたがたは、部族ごとに、知恵があり、悟りがあり、経験のある人々を出しなさい。彼らを、あなたがたのかしらとして立てよう」(申1:12 〜 13)。(2)時間の経過があるということは、モーセが神に祈ってその案を実行に移したということである。(3)さらに、モーセは民の同意を得てから、それを実行に移している。
ここから教訓を学ぼうではないか。何事に関しても、実行する前の熟慮が重要である。①神の御心を確認したか。②状況が整っているか。③関係者たちの同意を得ているか。これらの点について熟慮し、その上で実行に移そうではないか。
きょうの祈り
天の父よ。モーセの実行力と熟慮から教訓を学ぶことができました。感謝します。学んだことを自分の人生に適用することができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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