17 するとモーセのしゅうとは言った。「あなたのしていることは良くありません。
18 あなたも、あなたといっしょにいるこの民も、きっと疲れ果ててしまいます。このことはあなたには重すぎますから、あなたはひとりでそれをすることはできません。
19 さあ、私の言うことを聞いてください。私はあなたに助言をしましょう。どうか神があなたとともにおられるように。あなたは民に代わって神の前にいて、事件を神のところに持って行きなさい。
20 あなたは彼らにおきてとおしえとを与えて、彼らの歩むべき道と、なすべきわざを彼らに知らせなさい。
21 あなたはまた、民全体の中から、神を恐れる、力のある人々、不正の利を憎む誠実な人々を見つけ出し、千人の長、百人の長、五十人の長、十人の長として、民の上に立てなければなりません。
22 いつもは彼らが民をさばくのです。大きい事件はすべてあなたのところに持って来、小さい事件はみな、彼らがさばかなければなりません。あなたの重荷を軽くしなさい。彼らはあなたとともに重荷をになうのです。
23 もしあなたがこのことを行えば、──神があなたに命じられるのですが──あなたはもちこたえることができ、この民もみな、平安のうちに自分のところに帰ることができましょう。」
「するとモーセのしゅうとは言った。『あなたのしていることは良くありません』」。「良くありません」とは、道徳的・倫理的評価ではなく、今モーセが取っている方法は正しくないという意味である。つまり、1 人で重荷を担ぎ過ぎているという指摘である。これでは、モーセも民も疲れ果ててしまう。イテロはモーセに、預言者としての役割と管理的役割の分離を勧めた。(1)預言者としての役割とは次のようなものである。①民の代表として神の前に出る。②事件を神のところに持って行く。③神の教えを民に伝える。④なすべきことを民に教える。(2)管理的役割は他の人たちと分担すべきものである。千人の長、百人の長、五十人の長、十人の長を民の上に立てて、彼らをさばきつかさとして任命し、権限を委譲するのである。長になる資格は4 つある。①力のある人々(精神的力のこと)。②神を恐れる人々。③不正の利を憎む人々。④誠実な人々。大きい事件の場合は、それをモーセのところに持って来させるのだが、小さい事件はみな、彼らが裁く。
「もしあなたがこのことを行えば、─神があなたに命じられるのですが─あなたはもちこたえることができ、この民もみな、平安のうちに自分のところに帰ることができましょう」。(1)イテロは、モーセがこのことについて神に祈るであろうことを確信していた。「神があなたに命じられるのですが」とは、「自分の助言が神の御心と合致するなら、それを採用したらいい」という意味である。イテロは、最終的な決定をモーセの判断に委ねた。(2)もしモーセが自分の助言を受け入れてそれを実行してくれるなら、モーセは長く奉仕することができるようになるというのである。(3)またそれは、民にとっても祝福となる。民は短時間のうちに、自分の住まい(天幕)に帰ることができるようになるからである。
聖書は、良き助言者を持つことの重要性を教えている。「あなたはすぐれた指揮のもとに戦いを交え、多くの助言者によって勝利を得る」(箴24:6)。自分の周りに良い助言者を持つ人は幸いである。人間の助言者以上に大事なのが、主イエスの助言である。私たちクリスチャンには、最高の助言者がおられることを覚えよう。「ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は『不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君』と呼ばれる」(イザ9:6)
きょうの祈り
イエス・キリストの父なる神さま。私に良き助言者を与えてください。また、主イエスの語りかけに常に耳を傾けることができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
年間聖書通読
サムエル記第一22~23、使徒の働き1
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