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出エジプト記18:13 〜 16

13 翌日、モーセは民をさばくためにさばきの座に着いた。民は朝から夕方まで、モーセのところに立っていた。

14 モーセのしゅうとは、モーセが民のためにしているすべてのことを見て、こう言った。「あなたが民にしているこのことは、いったい何ですか。なぜあなたひとりだけがさばきの座に着き、民はみな朝から夕方まであなたのところに立っているのですか。」

15 モーセはしゅうとに答えた。「民は、神のみこころを求めて、私のところに来るのです。

16 彼らに何か事件があると、私のところに来ます。私は双方の間をさばいて、神のおきてとおしえを知らせるのです。」

多忙なモーセ

忠実なリーダー

「翌日、モーセは民をさばくためにさばきの座に着いた。民は朝から夕方まで、モーセのところに立っていた」。(1)モーセは、舅をもてなすひまもなく、仕事に励んでいた。「さばきの座に着いた」というのは、さばきつかさ(裁判官)としての任務を実行したということである。(2)「朝から夕方まで」とある。論争好きな民なので、争いごとも種々あったことだろう。約200 万人の民の間で起こる争いごとのすべてが、モーセのもとに持ち込まれて来たのであるから、これは、いつ果てるとも知れない激務である。(3)その様子を、イテロが観察していた。観察するというのは、イテロが有能なリーダーであることの証拠である。(4)イテロはモーセに質問した。「なぜ責任を分担しないのか」。「なぜ民はいつまでたっても自分の問題を聞いてもらえないのか」。これらの質問は、会話を導くための知恵である。
「モーセはしゅうとに答えた。『民は、神のみこころを求めて、私のところに来るのです。彼らに何か事件があると、私のところに来ます。私は双方の間をさばいて、神のおきてとおしえを知らせるのです』」。(1)「神のみこころを求めて」とは、マナ、安息日、礼拝の規定、相互に果たすべき義務、などに関する指示を求めたということである。(2)「何か事件があると」とは、刑法的、民法的、道徳法的な事件が起こった場合のことである。(3)モーセは、双方の言い分を聞いて判断を下し、何をなすべきかを教えた。モーセの律法がまだ与えられていなかったので、個別に指示を出す必要があったのだ。(4)モーセがこのようなリーダーシップを取っていた理由は、エジプトの統治形態(専制政治)を真似たからであろう。エジプトの遺跡からは、ハムラビ法典のような法体系は発掘されていない。すべての決定は、パロの命令によってなされた。エジプトで教育を受けたモーセは、エジプト風リーダーシップを採用していたようである。
リーダーのあるべき姿について学んでみよう。(1)当然のことながら、熱心さ(勤勉)が要求される。モーセは、誰よりも多く働いた。(2)さらに、謙遜さが要求される。民数記12:3 には、「さて、モーセという人は、地上のだれにもまさって非常に謙遜であった」とある。話を先取りして言うと、モーセはイテロの助言に耳を傾ける。ここにモーセの偉大さがある。モーセを参考にしながら、自らの姿を吟味しようではないか。

きょうの祈り

アブラハム、イサク、ヤコブの神よ。モーセの熱心さと謙遜を私に与えてください。よりよいしもべとなることができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

サムエル記第一20~21、ルカの福音書24