14 【 主】はモーセに仰せられた。「このことを記録として、書き物に書きしるし、ヨシュアに読んで聞かせよ。わたしはアマレクの記憶を天の下から完全に消し去ってしまう。」
15 モーセは祭壇を築き、それをアドナイ・ニシと呼び、
16 「 それは『主の御座の上の手』のことで、【主】は代々にわたってアマレクと戦われる」と言った。
戦いに勝利した後、【主】はモーセにこう言われた。「このことを記録として、書き物に書きしるし、ヨシュアに読んで聞かせよ。わたしはアマレクの記憶を天の下から完全に消し去ってしまう」。(1)このことを記録として残す目的は、ヨシュアに読んで聞かせるためである。これは、次世代のリーダー訓練でもある。記録された内容を聞いたヨシュアは、さらに次の世代にその情報を伝えるのである。(2)アマレクの記憶が消される。その理由は、彼らが神の民イスラエルに敵対し、神の計画に反抗したからである。この点に関しては、申命記25:19、1 サムエル15:2 〜 3(サウル王への命令。サウルは、アマレク人の王アガグと肥えた羊や牛を残した)、2 サムエル1:1(ダビデがアマレク人を打った)、2サムエル8:12、などを参照にすると良い。
モーセは祭壇を築き、それを「アドナイ・ニシ」と読んだ。日本語訳を比較してみよう。「主はわが旗」(口語訳、新共同訳)と「アドナイ・ニシ」(新改訳)がある。実際は、「ヤハウェ・ニシ」(ヤハウェは我が旗)と訳すのが良いと思う。モーセが上げた杖は、イスラエル軍の軍旗である。軍旗は、部隊の精神的支柱である。と同時に、指揮官の所在を明示するものでもある。杖がある所にモーセがいたのだが、実は、【主】が指揮官としてそこにおられたのである。
「それは『主の御座の上の手』のことで、【主】は代々にわたってアマレクと戦われる」。①「【主】の御座の上の手」(新改訳)という訳語が出ている。その場合は、「【主】が手を上げられた」という意味になる。②「主の旗にむかって手を上げる」(口語訳)と訳した場合は、モーセが【主】に向かって手を上げたという意味になる。③「彼らは主の御座に背いて手を上げた」(新共同訳)と訳した場合は、アマレクが神に反抗して手を上げたという意味になる。私見では、新改訳が良いと思う。
悪魔の攻撃に立ち向かう時、このアマレクとの戦いを思い起こそう。私たちのためには、大祭司である主イエスがいてくださる。主イエスの執りなしの祈りを思い起こし、勇気と力をいただこう。「私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。・・・ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか」(ヘブ4:15 〜 16)
きょうの祈り
イエス・キリストの父なる神さま。私には大いなる大祭司が与えられています。そのことを決して忘れることがありませんように、私を助けてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
年間聖書通読
サムエル記第一10~11、詩篇35 ~ 36
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