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出エジプト記14:10 〜 12

10 パロは近づいていた。それで、イスラエル人が目を上げて見ると、なんと、エジプト人が彼らのあとに迫っているではないか。イスラエル人は非常に恐れて、【主】に向かってさけんだ。

11 そしてモーセに言った。「エジプトにははかがないので、あなたは私たちを連れて来て、この荒野で、死なせるのですか。私たちをエジプトから連れ出したりして、いったい何ということを私たちにしてくれたのです。

12 私たちがエジプトであなたに言ったことは、こうではありませんでしたか。『私たちのことはかまわないで、私たちをエジプトに仕えさせてください。』事実、エジプトに仕えるほうがこの荒野あらので死ぬよりも私たちには良かったのです。」

動揺するイスラエルの民

つぶやき

この箇所かしょでイスラエルの民はつぶやく。これは、40 年間繰り返す「つぶやき」の最初である。「パロは近づいていた。それで、イスラエル人が目を上げて見ると、なんと、エジプト人が彼らのあとに迫っているではないか。イスラエル人は非常に恐れて、【主】に向かって叫んだ」。(1)2 種類の目と2 種類の叫びがある。それは、信仰の目と肉の目、信仰による叫びと不信仰による叫びである。(2)イスラエルの民は、肉の目でエジプト人が迫って来るのを見た。その結果、彼らは非常に恐れた。「自分たちには戦争の経験がない。その上、敵は世界で最強の軍隊である。到底勝ち目はない」。これは、人間の考えである。イスラエル人の心には、長年にわたってつちかわれて来た奴隷どれい根性が根付いていた。確かに敵は、ついこの間まで、自分たちの主人であった者たちである。(3)イスラエル人は、【主】に向かって叫んだ。それは、信仰の叫びではなく、不信仰の叫びである。つまり彼らは、過去に起こったことをすぐに忘れ、【主】に不平を言ったのである。

不平の内容

彼らは、モーセへの不平を口にした。「エジプトには墓がないので、あなたは私たちを連れて来て、この荒野で、死なせるのですか。私たちをエジプトから連れ出したりして、いったい何ということを私たちにしてくれたのです」。(1)これは、ユダヤ的皮肉である。窮地きゅうちおちいっても皮肉を言うのは、いかにもイスラエル人らしいところである。(2)エジプト人は墓にこだわった。エジプトは、ピラミッドの国として有名である。イスラエル人の皮肉とは、それだけ多くの墓があっても、イスラエル人は数が多いので、墓が足りないというものである。しかし、イスラエル人が荒野で死ねば、埋葬まいそうの心配はなくなる。(3)要するに、彼らは「信仰の冒険よりは、奴隷の時にあった安全が欲しい」と言ったのである。「荒野で死ぬよりは、奴隷のままでエジプトにいた方が良かった」と思ったのである。
私たちはどうだろうか。恐れに束縛そくばくされている限り、信仰によって前進することは不可能である。キリストにあって自由の子とされた私たちが、何かの奴隷になることなどあり得ない。「兄弟たち。互いにつぶやき合ってはいけません。さばかれないためです。見なさい。さばきの主が、戸口のところに立っておられます」(ヤコ5:9)

きょうの祈り

イエス・キリストの父なる神さま。どうか私をつぶやきの罪から守ってください。私の口に感謝と賛美の言葉を与えてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

ヨシュア記5~6、ルカの福音書2