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マタイの福音書26:1 ~ 5

1 イエスは、これらの話をすべて終えると、弟子たちに言われた。

2 「 あなたがたの知っているとおり、二日たつと過越すぎこしの祭りになります。人の子は十字架につけられるために引き渡されます。」

3 そのころ、祭司長、民の長老たちは、カヤパという大祭司の家の庭に集まり、

4 イエスをだましてらえ、殺そうと相談した。

5 しかし、彼らは、「祭りの間はいけない。民衆のさわぎが起こるといけないから」と話していた。

受難の予告

4 回目の十字架の預言

オリーブ山での説教を終えたイエスは、弟子たちに受難じゅなんを予告された(4 回目の十字架の預言)。(1)二日たつと過越の祭りになる。過越の祭りとは、エジプトでの奴隷どれい生活から解放されたことを記念する祭りである。イエスは、その祭りの期間中に十字架につけられるために引き渡される。(2)神の小羊であるイエスの死が、罪のあがないのいけにえとして有効なものになるためには、2 つの条件が満たされる必要があった。イエスが、ユダヤの祭りである過越の祭りの間に死ぬということ。イエスが、十字架にかかって死ぬということ。それ以外の時や、それ以外の方法での死では、罪の贖いのわざが完成したとは言えない。

指導者たちの陰謀

イエスの受難の予告を聞いて、弟子たちがどのような反応を示したかは記されていない。ここでマタイは、ユダヤ人の指導者たちがどのように動いたかを記録している。彼らは、大祭司カヤパの家に集まって、イエスを殺すための策略さくりゃくっていた。その場には、普段ふだんは敵対しているサドカイ人とパリサイ人とが同席していた。彼らは、イエスを共通の敵と見たのである。彼らの陰謀いんぼうは、2 つの点に集約することができる。(1)彼らは、イエスをだまして捕らえ、殺そうとした。「だまして捕らえる」というのは、民衆の目の届かないところで捕らえるということである。それが実現するように手引きするのが、イスカリオテのユダである。(2)彼らは、民衆の暴動を恐れていたので、過越の祭りの期間はけようと相談していた。つまり、過越の祭りが終わってからイエスを逮捕たいほし、ひそかにイエスを処刑しようとしたのである。過越の祭りには、世界中のユダヤ人たちがエルサレムに巡礼に来ていたからである。
ここで見落としてならないのは、サタンの暗躍あんやくである。サタンは、ユダヤ人の指導者たちを利用して、イエスが過越の祭りの時に、十字架刑によって死なないように画策かくさくしたのである。もしサタンの計画が実現すれば、十字架の死を通して人類の罪を贖うという神の計画は台無しになる。しかし神は、人の思惑おもわくやサタンの策略によって振り回されるようなお方ではない。神は、ご自身の計画を必ず成就じょうじゅされる。イエスが預言されたとおり、人の子(メシア)であるイエスは、過越の祭りの間に十字架につけられることになる。神の約束は必ず成就すると信じるなら、私たちの生き方は劇的に変化する。信仰がなくては、神に喜ばれることはできない。

きょうの祈り

天の父なる神さま。あなたの敵がいかに妨害しようとも、あなたは必ず御心を成就されるお方です。どうか、私の上にあなたの御心がなりますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

歴代誌 第二15~16、ヨハネの黙示録14