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マタイの福音書24:1 ~ 2

1 イエスが宮を出て行かれるとき、弟子たちが近寄って来て、イエスに宮の建物をさし示した。

2 そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「このすべての物に目をみはっているのでしょう。まことに、あなたがたに告げます。ここでは、石がくずされずに、まれたまま残ることは決してありません。」

神殿崩壊の預言

預言者としての働き

メシアであるイエスは、3 つの役割(預言者、祭司、王)を果たされるが、これらの役割は、すべて同時に行われるものではない。 預言者としての働きは初臨の時、 祭司としての働きは昇天後、 王としての働きは再臨後に行われる。
イエスの公生涯は、23:1 ~39 のことばで終わった。これ以降イエスは、十字架にかかるまでの残りの時間を、弟子訓練のためにお用いになる。この箇所では、神殿の崩壊が預言されている。その背景を確認しておこう。(1)ユダヤ人の指導者たちは、悪霊にかれているという理由で、イエスのメシア性を拒否した。これが、「赦されない罪」と呼ばれるものである。(2)そのため、メシア的王国(千年王国)の実現は、イエスの再臨の時まで延期されることになった。(3)イエスは、「『祝福あれ。主の御名によって来られる方に』とあなたがたが言うときまで、あなたがたは今後決してわたしを見ることはありません」(23:39)と言われた。すでに学んだように、これは再臨の条件に関する預言である。

神殿崩壊の預言

イエスが神殿を出て行こうとすると、弟子たちが近寄って来て、神殿を指し示した。(1)彼らは、神殿の豪華さに目を見張った。この神殿は、ヘロデ大王が前20年に着工したもので、この当時(紀元30 年)、まだ工事が続いていた(完成するのは、紀元64 年である)。神殿のために用いられた石材は、それぞれ8 ~10 トンもある巨大なものであった。弟子たちが驚いたのも無理はない。(2)しかしイエスは、「ここでは、石がくずされずに、積まれたまま残ることは決してありません」と預言された。この預言は、紀元70 年に文字通りに成就した(神殿が炎上し、金が溶け出して石垣のけ目に流れ込んだ。ローマ兵たちは、その金を取り出すために、石を一つずつ取り除けていった)。(3)これを聞いて、弟子たちは不安に襲われた。彼らは、それがいつ起こるのか知りたいと思った(次回学ぶ箇所で、弟子たちの質問が出てくる)。(4)弟子たちの質問に対する答えが、「オリーブ山での説教」(マタ24 ~25 章、マコ13 章、ルカ21 章)と呼ばれるものである。
私たちもまた、弟子たちと同じように目に見えるものに心を引かれる者たちである。しかし、神の祝福がなければ、人間が造ったものはいつか滅び去る。永遠に価値のあるものに目をそそごうではないか。過去がどうであったかは問題ではない。神は、私たちの心をご覧になる。

きょうの祈り

天の父よ。目に見えるものや、人の称賛を浴びるものに心が奪われることがありませんように、私をお守りください。あなたの祝福がなければ、すべては空しいものです。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

歴代誌 第一16~17、ヨハネの黙示録4