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創世記1:1〜2

1 初めに、神が天と地を創造した。

2 地は茫漠ぼうばくとして何もなかった。やみが大水の上にあり、神の霊が水の上を動いていた。

混沌(カオス)から秩序へ

3つの立場(解釈)

 「地は茫漠として何もなかった」(2節a)。創世記1:1〜3に関しては、3つの立場(解釈)がある。(1)創造は、「混沌」(カオス)を造り出すところから始まったという立場。この立場によれば、1節は創造の6日間の第1日目に入るとされる。つまり、神は先ず天と地を混沌とした状態に創造し(1〜2節)、次に、それを秩序ある状態に完成された(3節以降)ということである。(2)創造の前から、何らかの理由で「混沌」が存在していたという立場。この立場によれば、1節は「天地創造の記事全体の要約」、あるいは「イントロダクション」だとされる。(3)創世記1章1節と2節の間に、時間的な隔へだたりがあるとする立場(ちなみに、筆者はこの立場を採用している)。この立場では、サタンの堕落だらくを1節と2節の間に置く。ヘブル語の「トーフー・ワ・ボーフー」という3語(2節)が、「混沌」を表現している。「トーフー」と「ボーフー」の2語が対になって出てくるのは、2節以外では、イザヤ3411とエレミヤ4:23だけである。文脈はともに、神の裁きである。このことから、2節にある「混沌」は、神の裁きの結果であると推測される(サタンの堕落に関しては、エゼ281116参照)。黙示録21:1〜22:2には、新しい天と新しい地が登場するが、これは、サタンが堕落する以前の天と地の回復である。

希望の言葉

 「やみが大水の上にあり、神の霊が水の上を動いていた」(2節b)。ここから希望の言葉が始まる。(1)三位一体の神の第三位格である聖霊は、天地創造の業に参加しておられた。(2)「動いていた」という動詞は、ヘブル語では「メラヘフェット」であるが、これは母鳥が卵を抱いている様子を表している。つまり、「混沌」とした被造世界が、聖霊によって再創造されつつある様子が描かれているのである。
 創造物語を通して、以下の教訓を学ぼうではないか。 神は独創的なお方である。 神は被造世界の一部ではなく、それを超越したお方である。 神は永遠の存在であり、被造世界を支配しておられる。 私たち人間は神の作品であり、神の目には価値ある存在である。 人間には、神と交流できる能力が付与されている。 人間は動物界を支配するように命じられている(創1:28参照)。
 神は私たちと交流することを願っておられる。クリスチャン生活とは、神との交流を楽しみながら日々歩むものである。

きょうの祈り

 天地創造の神よ。主イエスを通してあなたと交流できるとは、なんという幸いでしょうか。地上には、これ以上の喜びはありません。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

雅歌1~2、ヤコブの手紙1