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マルコの福音書15:20~21

20 彼らはイエスを嘲弄したあげく、その紫の衣を脱がせて、もとの着物をイエスに着せた。それから、イエスを十字架につけるために連れ出した。

21 そこへ、アレキサンデルとルポスとの父で、シモンというクレネ人が、いなかから出て来て通りかかったので、彼らはイエスの十字架を、むりやりに彼に背負わせた。

十字架への道

ヴィア・ドロローサ

兵士たちは、イエスを嘲弄したあげく、紫の衣を脱がせて、もとの着物を着せました。それから、十字架につけるために、イエスを外に引き出しました。十字架刑は、見せしめの刑です。当時の習慣では、死刑の宣告を受けた者は、十字架を負って刑場まで歩くことになっていました。広げた両手の上に十字架の横木を載せ、それをロープで縛って行進しました。カヤパの官邸からカルバリの丘まで続く約700メートルの道を、ヴィア・ドロローサ(悲しみの道)と言います。通常は、鞭打ちは刑場に着いてから行なわれるのですが、イエスの場合は、ピラトが鞭打ちだけでイエスを釈放しようとしたために、刑場に着く前にそれが行なわれました。鞭打ちの刑によって、イエスのからだから大量の出血がありました。もはやイエスのからだは、刑場まで重い木を負って歩けるような状態ではありませんでした。それを見たローマ兵は、そこに居合わせたひとりの男に、イエスの十字架を担がせました。

クレネ人シモン

シモンというその男は、クレネ(北アフリカの海岸都市)出身のユダヤ人です。過越の祭りの時期、世界中からユダヤ人たちがエルサレムに集まって来ていました。シモンも、そのひとりでした。彼は、(1)アレキサンデルとルポスの父でした。(2)また、後にアンテオケ教会の指導者のひとりとなった「ニゲルと呼ばれるシメオン」(使徒1 3:1)と同一人物だと考える人もいますが、確たる証拠はありません。
いずれにしても、クレネ人シモンは、初代教会の中ではよく知られた人物となりました。すべては、十字架を担がされたところから始まりました。それは、ローマによる強制労働でしたが、同時に、神の摂理であり、この上ない特権でもありました。彼は、カルバリの丘まで十字架の横木を担ぎ、イエスが十字架にかけられる場面を目撃しました。そして、イエスが自分を十字架につけている人々の罪が赦されるようにと祈られるのを聞き、この方こそメシヤであるとの確信を得たのでしょう。シモンが経験した苦痛は、最後は喜びに変えられました。キリストを信じる人は、苦難が喜びに変わる経験をするようになります。私たちも、喜んで十字架を負うことを学びましょう。

きょうの祈り

天の父なる神さま。苦難が喜びに変えられることを信じます。どうか私も、主の十字架を喜んで負うことができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

創世記47~48、ヨハネの福音書 2