6 ところでピラトは、その祭りには、人々の願う囚人をひとりだけ赦免するのを例としていた。
7 たまたま、バラバという者がいて、暴動のとき人殺しをした暴徒たちといっしょに牢に入っていた。
8 それで、群衆は進んで行って、いつものようにしてもらうことを、ピラトに要求し始めた。
9 そこでピラトは、彼らに答えて、「このユダヤ人の王を釈放してくれというのか」と言った。
10 ピラトは、祭司長たちが、ねたみからイエスを引き渡したことに、気づいていたからである。
11 しかし、祭司長たちは群衆を扇動して、むしろバラバを釈放してもらいたいと言わせた。
12 そこで、ピラトはもう一度答えて、「ではいったい、あなたがたがユダヤ人の王と呼んでいるあの人を、私にどうせよというのか」と言った。
13 すると彼らはまたも「十字架につけろ」と叫んだ。
14 だが、ピラトは彼らに、「あの人がどんな悪い事をしたというのか」と言った。しかし、彼らはますます激しく「十字架につけろ」と叫んだ。
15 それで、ピラトは群衆のきげんをとろうと思い、バラバを釈放した。そして、イエスをむち打って後、十字架につけるようにと引き渡した。
この時点でピラトは、イエスが無罪であることと、ユダヤ人たちがねたみからイエスを引き渡したことに気づいていました。ところで、祭りの期間、民衆が希望する囚人を一人釈放するという習慣がありました。これは、ユダヤ人を懐柔するための策です。ピラトはその習慣に則り、イエスを釈放しようとして、イエスかバラバかどちらかを選べと群集に問いかけます。しかし、祭司長や長老たちから説き伏せられた群集は、バラバを釈放せよと迫ります。事態が収拾できないと見るや、ピラトは自らの手を水で洗い、イエスを十字架につけることを許します(マタイ27:24)。ピラトは最後まで責任逃れをしましたが、彼に責任があったことは明白です。その証拠に、彼の名は今日に至るまで『使徒信条』の中に残り、世界の人々に記憶されています。
さて、民衆は「その人の血は、私たちや子どもたちの上にかかってもいい」(マタイ27:25)と叫びました。紀元70年にエルサレムが滅びた時、それが成就しました。これは、メシアを拒否したことから来る呪い、つまり、赦されない罪の裁きです。しかし、彼らが「私たちや子どもたちの上に」としか言っていないことに注目しましょう。この箇所から、ユダヤ人全体が呪われていると結論づけるのは正しくありません。
さて、イエスに代わって釈放されたバラバについて見てみましょう。(1)バラバという名は固有名詞ではなく、「アバの息子」というタイトルです。(2)別の資料から、彼の本名はイェシュアであったことがわかっています。イエスもまたイェシュアと呼ばれていました。福音記者たちは、混乱を避けるために、バラバという名前を採用したようです。(3)さらに皮肉なことに、「アバ」とは「父」という意味ですから、バラバとは「父の息子」という意味になります。主イエスは、「父なる神の子」です。バラバは、「父の息子」です。これもまた、よく似ています。(4)イエスはバラバの身代わりとして死なれました。
きょうの祈り
イエス・キリストの父なる神さま。私こそ現代のバラバです。私はイエスの死によって赦され、生かされました。どうか、主イエスの愛に応答する人生を歩ませてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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創世記43~44、マルコの福音書 16
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