30 しかし、ヘシュボンの王シホンは、私たちをどうしても通らせようとはしなかった。それは今日見るとおり、彼をあなたの手に渡すために、あなたの神、【主】が彼の心を頑なにし、彼を強気にされたからである。
31 【主】は私に言われた。「見よ、わたしはシホンとその地とをあなたの手に渡し始めている。占領し始めよ。その地を所有せよ。」
32 シホンとそのすべての兵が、私たちを迎え撃つためヤハツに出て来たとき、
33 私たちの神、【主】は彼を私たちの手に渡された。私たちは彼とその子たちとそのすべての兵を討った。
34 そのとき、私たちは彼のすべての町を攻め取り、すべての町、男、女および子どもを聖絶し、一人の生存者も残さなかった。
35 私たちは、攻め取った町々での略奪物のほかは、家畜を分捕っただけであった。
36 アルノンの渓谷の縁にあるアロエル、およびその渓谷の中の町からギルアデに至るまで、私たちの力が及ばない町は一つもなかった。私たちの神、【主】がそれらをみな私たちの手に渡されたのである。
37 ただ、あなたはアンモン人の地、ヤボク川の全岸と山地の町々には、私たちの神、【主】が命じられたとおり近寄らなかった。
「しかし、ヘシュボンの王シホンは、私たちをどうしても通らせようとはしなかった。それは今日見るとおり、彼をあなたの手に渡すために、あなたの神、【主】が彼の心を頑なにし、彼を強気にされたからである。【主】は私に言われた。『見よ、わたしはシホンとその地とをあなたの手に渡し始めている。占領し始めよ。その地を所有せよ』」。(1)ヘシュボンの王シホンは、モーセの平和的な提案を拒否した。【主】が彼の心を頑なにされたからである。これは、すでに彼の心の中にあった傲慢(【主】に対する傲慢)な態度を、【主】が放置されたという意味である。(2)この状態は、エジプトのファラオに起こったのと同じことである。「【主】はモーセに言われた。『あなたがエジプトに帰ったら、わたしがあなたの手に授けたすべての不思議を心に留め、それをファラオの前で行え。しかし、わたしが彼の心を頑なにするので、彼は民を去らせない』」(出4:21)。パロの心は、最初から頑なであった。【主】はそれを放置されたのである。(3)神は歴史を支配しておられる。神だけが、「見よ、わたしはシホンとその地とをあなたの手に渡し始めている」と宣言することができる。
(1)シホンとその民はイスラエルの民を迎え打つために出て来たが、神の御手がイスラエルと共にあったので、イスラエルは大勝利を収めた。「そのとき、私たちは彼のすべての町を攻め取り、すべての町、男、女および子どもを聖絶し、一人の生存者も残さなかった」。(2)モーセは、「アルノンの渓谷の縁にあるアロエル、およびその渓谷の中の町からギルアデに至るまで、私たちの力が及ばない町は一つもなかった」と記している。「私たちの力が及ばない町は一つもなかった」を直訳すると、「私たちにとって高すぎる町はなかった」という意味になる。これは、城壁が高すぎる町はなかったということである。(3)出エジプト世代のイスラエル人たちは、カナン人の町々は城壁が高すぎて征服できないと言っていた(申1:28)。なんという対比であり、変化であろうか。
問題を信仰者の視点で見ることを学ぼう。信仰の目で見始めると、不可能が可能になる。「私たちの神、【主】がそれらをみな私たちの手に渡されたのである」という告白が、私たちのものとなる。私たちは、キリストにあって何でもできる。
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