1 人に見せるために人前で善行をしないように気をつけなさい。そうでないと、天におられるあなたがたの父から、報いが受けられません。
2 だから、施しをするときには、人にほめられたくて会堂や通りで施しをする偽善者たちのように、自分の前でラッパを吹いてはいけません。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。
3 あなたは、施しをするとき、右の手のしていることを左の手に知られないようにしなさい。
4 あなたの施しが隠れているためです。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。
この箇所でイエスは、今まで論じてきた「律法の義」を実践するとどうなるかを教えておられる。1 節は、導入(イントロダクション)であり、結論でもある。「人に見せるために人前で善行をしないように気をつけなさい。そうでないと、天におられるあなたがたの父から、報いが受けられません」(1 節)。これは、パリサイ人の偽善に対する警句でもある。2 節以降の説明は、1 節に記された基本原則の実際的な適用例である。
基本原則は、次のように要約される。(1)「律法の義(善行)は、人に見せるために行うものではない」。ここでは、善行を行う場合の動機が問われている。(2)「もし人の歓心を買うために善行を行うなら、人からの報いは得られるだろうが、神からの報いは来ない」。イエスの弟子である私たちは、善行の中にさえ偽善が巧妙に入り込んで来ることに注意しなければならない。
人からの称賛を求めるのであれば、もはや神から報いを受けることはできない。神は常に、行動の背後にある動機を見ておられる。神に喜ばれることだけを願って行動する者は、幸いである。
善行の具体例として、「施し」が上げられる。施しを行う場合の正しい態度は、人が見ていないところでそれを行うことである。また自分でも、「善行をしているのだ」という意識を捨て去ることである。そうすれば、「隠れた所で見ておられる父」が、報いてくださる。
当時、パリサイ人たちは、これと正反対のことをしていた。神殿内(婦人の庭)には、13 の献金箱が置かれていた。多額の献金をする場合、彼らはラッパを吹かせて献金箱に歩み寄り、群衆が注目する中で、これ見よがしに献金を投げ込んだ。このようにして、彼らは人からの称賛を受けたのであるが、称賛はそれで終わりである。神からの称賛と報いは、彼らのものにはならなかった。
今も、ラッパを吹いて善行を行うような人がいる。人の心は邪悪と欺きに満ちている。神は私たちの行為だけでなく、その背後にある動機まで見ておられる。神は聖であるので、私たちにも聖であることを要求される。神の目をごまかすことはできない。今、自分の行為が神に喜ばれるものになっているかどうか、自己吟味をしようではないか。
きょうの祈り
天の父なる神さま。どうか私が、ラッパを吹くような行為をすることのないように、私を助けてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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