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マタイの福音書6:5 ~ 7

5 また、祈るときには、偽善者たちのようであってはいけません。彼らは、人に見られたくて会堂や通りの四つ角に立って祈るのが好きだからです。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。

6 あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋に入りなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。

7 また、祈るとき、異邦人のように同じことばを、ただくり返してはいけません。彼らはことば数が多ければ聞かれると思っているのです。

祈りの実践

善行の第2 の例

マタイ6:1 は、「律法の義」に関する原則を教えたものであった。人に見せるためではなく、神に喜ばれるために善行を行うというのが、その原則である。人の称賛を受けるために善行を積む人は、偽善者と呼ばれる。善行の第1 の例は「献金(施し)」であった。善行の第2 の例は、「祈り」である。献金の場合と同じように、祈りにおいても自分の敬虔けいけんさが他の人に分かるようにしてはならないというのである。
(1)当時のパリサイ人の中には、「会堂や大通りの四つ角に立って祈る」者がいた。目立つ場所で祈るのは、人に見られるためである。彼らの祈りの動機は、人からの称賛を受けることにあった。(2)彼らはすでに、自分の報い(人からの称賛)を受け取っている。それ以上の報い(神からの報い)は、何も与えられない。(3)パリサイ的偽善をけるためには、奥まった部屋に入って祈るのがよい。つまり、ひとりになれる場所で、個人的に神に祈るということである。天の父は、そのような祈りに報いてくださる。神は、私たちが言葉を口に上らせる前に、私たちの思いを読み取ってくださる。父なる神は、私たちが御座に出るのを、いつも待っていてくださる。

異邦人の祈り

次にイエスは、異邦人のように祈ることを禁止された。「また、祈るとき、異邦人のように同じことばを、ただくり返してはいけません。彼らはことば数が多ければ聞かれると思っているのです」。イエスは、神を知らない異邦人は同じ言葉を何度もくり返していると言われた。長い祈りや、ことばたくみな祈りが、神に評価されるわけではない。真実な心で神に祈ることが重要である。注目すべきは、キリスト教以外の宗教には自発的な祈りがないという点である。仏教も、イスラム教もそうである。そして驚くべきことに、パリサイ主義から発展した現在のユダヤ教にも、自発的な祈りはない。ユダヤ人たちは、どんな場合でも、祈祷書きとうしょを使って祈っている。ユダヤ人たちには、自分の言葉で神に語りかけるという経験がないのである。
聖霊に導かれた真実で自発的な祈りこそ、神とのいのちある交わりをもたらすものである。自らの祈りの生活をかえりみようではないか。「自分の奥まった部屋」(自分ひとりになれる空間)を確保できているだろうか。「隠れた所で見ておられるあなたの父」と、いのちの交流ができているだろうか。祈りの生活が喜びと力に満ちたものとなるように、祈ろうではないか。

きょうの祈り

天の父なる神さま。隠れた部屋に入り、あなたに向かって個人的に呼びかけることができますように、私の祈りの時間を祝福してください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

エゼキエル書2~3、詩篇69 ~ 70