38 『 目には目で、歯には歯で』と言われたのを、あなたがたは聞いています。
39 しかし、わたしはあなたがたに言います。悪い者に手向かってはいけません。あなたの右の頬を打つような者には、左の頬も向けなさい。
40 あなたを告訴して下着を取ろうとする者には、上着もやりなさい。
41 あなたに一ミリオン行けと強いるような者とは、いっしょに二ミリオン行きなさい。
42 求める者には与え、借りようとする者は断らないようにしなさい。
口伝律法とメシアの教えの対比が続く。この箇所でのテーマは、「復讐」(報復)である。「目には目で、歯には歯で」という命令は、出エジプト記21:24、レビ記24:20 などに登場する。(1)これは、同害報復法と呼ばれるもので、紀元前18 世紀のハムラビ法典にまでさかのぼることができる。同害報復法の目的は、復讐のサイクルに歯止めをかけることにあった。しかし、その目的が忘れ去られ、実際には報復を要求する根拠として用いられるようになった。これは、同害報復法の乱用である。(2)さて、モーセの律法では、この規定は法廷で「法の正義」を行うために与えられていたものである。法廷の中で実行されるという点、また、罪の重さに比例する程度の罰を与えるという点で、「法の正義」が守られたわけである。(3)しかし口伝律法では、同害報復法は、私的に復讐を行うための根拠として悪用された。それを矯正するために、イエスは「律法の義」の解釈を明示されたのである。
イエスは、実に絵画的な表現で、無抵抗の重要性を教えられた(39 ~42 節)。ここでのイエスの教えは、悪や不正を容認せよというものではなく、復讐したいという思いからの解放を説いたものである。イエスの弟子であるなら、報復しないだけでなく、求められたもの以上のものを差し出すべきである。それができるようになるためには、物に対する執着心から解放されている必要がある。
まとめとして、次の2 点を確認しよう。(1)無実の者(被害者)の権利は、モーセの律法によって守られている。それゆえ、権利が侵害されたときには、自分の権利を主張することが許されている。(2)ただし、必ずしもその権利を主張する必要はない。自らの意志でその権利を放棄することも可能である。「求める者には与え、借りようとする者は断らないようにしなさい」とは、そういう意味である。それができる人こそ、義人である。
私たちに関しては、すべてのさばきを神に委ねようではないか。怒りや憎しみから解放されるように、祈ろうではないか。「ですから、私たちは、もはや互いにさばき合うことのないようにしましょう。いや、それ以上に、兄弟にとって妨げになるもの、つまずきになるものを置かないように決心しなさい」(ロマ14:13)
きょうの祈り
天の父なる神さま。私の心がいつでも、怒りや憎しみから解放された状態にありますように心から願います。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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エレミヤ書48~49、コリント人への手紙 第二10
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