10 次に、すでに結婚した人々に命じます。命じるのは、私ではなく主です。妻は夫と別れてはいけません。
11 ──もし別れたのだったら、結婚せずにいるか、それとも夫と和解するか、どちらかにしなさい──また夫は妻を離別してはいけません。
12 次に、そのほかの人々に言いますが、これを言うのは主ではなく、私です。信者の男子に信者でない妻があり、その妻がいっしょにいることを承知している場合は、離婚してはいけません。
13 また、信者でない夫を持つ女は、夫がいっしょにいることを承知している場合は、離婚してはいけません。
14 なぜなら、信者でない夫は妻によって聖められており、また、信者でない妻も信者の夫によって聖められているからです。そうでなかったら、あなたがたの子どもは汚れているわけです。ところが、現に聖いのです。
15 しかし、もし信者でないほうの者が離れて行くのであれば、離れて行かせなさい。そのような場合には、信者である夫あるいは妻は、縛られることはありません。神は、平和を得させようとしてあなたがたを召されたのです。
16 なぜなら、妻よ。あなたが夫を救えるかどうかが、どうしてわかりますか。また、夫よ。あなたが妻を救えるかどうかが、どうしてわかりますか。
次にパウロは、すでに結婚した人々に命じています。彼は、「命じるのは、私ではなく主です。」と語っています。当時、主イエスの公生涯とその教えとは文書としても口伝としても正確に残されていました。パウロもまた、そのような資料に触れていたのでしょう。(1)原則は、離婚はいけないということです。結婚は、神の創造の秩序に属することであり、祝されたものだからです(マタイ5:32、19:3~9参照)。(2)もしすでに離婚しているなら、二つの選択肢があります。結婚せずにいるか、それとも夫と和解するかのいずれかです。パウロの書き方からすると、彼は前者よりも後者のほうがより良い道だと教えているようです。
次の問題は、結婚後、片方がクリスチャンになった場合です。コリントの教会には、そのような人々がかなりいたようです。これに関してパウロは、「これを言うのは主ではなく、私です。」と語っています。
(1)不信者の相手がそれを承知している場合は、離婚してはなりません。なぜなら、信者でない夫は信者の妻によって聖められており、また、信者でない妻も信者の夫によって聖められているからです。(2)ここで言う「聖め」とは、道徳的な聖さのことではなく、「この世から選び分けられている」という意味です。信者の家は、神の守りの中に置かれています。さらに、その家には神の栄光を現すという使命が与えられています。その家の一員であるということは、「この世から選び分けられている」状態にあるということです。その家の子どもが聖いというのも、同じ意味です。(3)もし信者でないほうが離れていく場合は、そのままにしておいてよいというのがパウロの立場です。その理由は、クリスチャンとなった人が平和な人生を送れるようになるためです。また、相手が救われるかどうか、だれにも分からないからです。
家族の中に不信者がいるかどうかにかかわらず、神の守りの御手はあなたの家の上に置かれています。あなたの家が、神の栄光を現す家となりますように祈りましょう。また、家族の救いのためにも祈りましょう。
きょうの祈り
天の父なる神さま。どうか私の家を祝福し、守ってください。家族全員がクリスチャンとなりますように、お助けください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
年間聖書通読
ホセア書8~9、コロサイ人への手紙3
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