11 コリントの人たち。私たちはあなたがたに包み隠すことなく話しました。私たちの心は広く開かれています。
12 あなたがたは、私たちの中で制約を受けているのではなく、自分の心で自分を窮屈にしているのです。
13 私は自分の子どもに対するように言います。それに報いて、あなたがたのほうでも心を広くしてください。
ここでパウロは、「コリントの人たち」と、手紙の読者に対して直接的に呼びかけています。パウロのいつもの習慣では、読者に呼びかけることはありません。しかし、彼の感情が高まった時には、その習慣から外れることもありました。(1)ガラテヤ人への手紙3:1がそうです。異なった福音に惹かれていくガラテヤのクリスチャンたちに対して、「ああ愚かなガラテヤ人」と呼びかけています。(2)また、ピリピ人への手紙4:15もそうです。そこでは、パウロの働きを支援してくれたピリピのクリスチャンたちに対してこう書いています。「ピリピの人たち。あなたがたも知っているとおり、私が福音を宣べ伝え始めたころ、マケドニヤを離れて行ったときには、私の働きのために、物をやり取りしてくれた教会は、あなたがたのほかには一つもありませんでした」(ピリピ4:15)。
パウロがコリントのクリスチャンたちに厳しく、また率直に書いてきたのは、彼らを憎んでいるからではなく、彼らに対して深い愛を感じていたからです。
パウロは、コリントのクリスチャンたちとの間に何かしっくりしないものを感じていましたが、それは、自分の側の責任ではないと言います。(1)パウロが彼らを制約しているのではなく、彼ら自身が自分の心で自分を窮屈にしているのです。つまり、彼らがパウロに心を閉ざしていることが問題の原因だということです。(2)パウロは彼らに、自分の子供に対してアドバイスをするように語りかけます。自分が示している愛に報いて、自分に対して心を開いて欲しいと。
愛は奪い取れるものではありません。相手が与えてくれない限り、自分のものにはなりません。これが、人間関係の原則です。またこの原則は、神と私たちの関係にも当てはまります。神はひとり子(イエス・キリスト)を十字架につけるほどに私たちを愛してくださいました。その愛に対して心を開いた人が、クリスチャンです。あなたの心は、この神に対して開かれていますか。また、あなたを愛してくれている両親や友人、隣人たちに対し開かれていますか。
きょうの祈り
愛なる神さま、私の心を開いてください。もっともっと、あなたの愛を受け取ることができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
年間聖書通読
雅歌1~2、ヤコブの手紙1
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