20 こういうわけで、私たちはキリストの使節なのです。ちょうど神が私たちを通して懇願しておられるようです。私たちは、キリストに代わって、あなたがたに願います。神の和解を受け入れなさい。
21 神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。
< 6 章 >
1 私たちは神とともに働く者として、あなたがたに懇願します。神の恵みをむだに受けないようにしてください。
2 神は言われます。「わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。」確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。
パウロは、自分たちのことを「キリストの使節」と見ています。神が自分たちを通して懇願しておられるかのようだというのです。パウロがキリストに代わって懇願しているのは、神の和解を受け入れなさい、ということです。(1)神の和解は、神が主導権を取って行動され、キリストの十字架によってすでに完成した事実です。(2)しかしそれは、和解のメッセージを聞いた者が、主体的に受け入れない限り、その人の上に実現しないものでもあります。(3)そういう意味で、神の和解とは、過去形であると同時に、現在進行形でもあります。
神の和解が成就した理由は、神が罪を知らない方(キリスト)を、私たちの代わりに罪とされたからです。では、どういう意味で、キリストは罪とされたのでしょうか。三つの点でこれを考えてみましょう。(1)キリストは罪人と同じ姿になって、誕生し、地上生涯を歩まれました。ここに、天での栄光を捨てたキリストの犠牲があります。(2)キリストは罪を贖うためのいけにえとなられました。旧約時代のいけにえは、キリストを予表するものでした。(3)罪人に対する神の裁きと怒りは、すべて十字架上のキリストに注がれました。それゆえ、私たちは神の裁きから解放されたのです。
以上の3点について黙想してみましょう。ここに、神の愛が明らかにされています。
次にパウロは、和解の恵みが差し出されている今がいかに大切な時であるかを、イザヤ書49:8を引用して確認しています。(1)「神の恵みを無駄に受けないように」とは、異なった福音に関心を示すことがないようにということです。また、信仰と行ないの不一致が起こらないようにということでもあります。神の和解を受け入れた者は、神に喜ばれる生活をしたいと願うようになるはずです。もしそうでないなら、それは、神の恵みを無駄に受けているということです。(2)「今は、恵みの時、今は救いの日です」とは、教会時代は「恵みの時代」であり、福音宣教が許されている時代だということです。この時代は、いつまでも続くものではなく、キリストの再臨とともに終わるものです。
きょうという日を生かして、歩む決断をしようではありませんか。
きょうの祈り
天の父なる神さま。あなたの和解を無駄に受けないように、私を励まし、戒め、導いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
年間聖書通読
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