1 私たちはまたもや自分を推薦しようとしているのでしょうか。それとも、ある人々のように、あなたがたにあてた推薦状とか、あなたがたの推薦状とかが、私たちに必要なのでしょうか。
2 私たちの推薦状はあなたがたです。それは私たちの心にしるされていて、すべての人に知られ、また読まれているのです。
3 あなたがたが私たちの奉仕によるキリストの手紙であり、墨によってではなく、生ける神の御霊によって書かれ、石の板にではなく、人の心の板に書かれたものであることが明らかだからです。
4 私たちはキリストによって、神の御前でこういう確信を持っています。
5 何事かを自分のしたことと考える資格が私たち自身にあるというのではありません。私たちの資格は神からのものです。
6 神は私たちに、新しい契約に仕える者となる資格を下さいました。文字に仕える者ではなく、御霊に仕える者です。文字は殺し、御霊は生かすからです。
きょうの箇所でパウロは、使徒職の証明を自分は持っていると論じています。まず、証明にならないものを3つ見てみましょう。
(1)経済的動機は、証明になりません。「神のことばに混ぜ物をして売るようなことはせず」(2:17)と彼が語ったのは、そういう意味もあります。事実パウロは、コリントのクリスチャンたちに何の経済的負担もかけないで奉仕をしてきました(Iコリント9:12~19参照)。(2)自己推薦もまた、証明になりません。コリントの信徒の中には、自らの権威を語るパウロの主張は自己推薦であると批判する人も多くいました(参照5:12)。しかしパウロは、自分は自己推薦をしているのではないと明言します。(3)さらに、教会の推薦状も証明にはなりません。これは、偽教師たちが熱烈に欲したものです。パウロにとっては、自らの宣教によってできたコリント教会の存在自体が推薦状だからです。
コリント教会は、パウロの心に刻まれた推薦状であり、すべての人に知られ、読まれている推薦状です。ここでパウロは、旧約聖書と新約聖書とを比較し、自らの働きの本質を語っています。(1)旧約では、シナイ契約の条項が石の板(出エジプト記24:12)に記されました。(2)新約では、キリストの律法が聖霊によって人の心に書かれます(エレミヤ書31:33)。その時、人の心は聖霊によって、固い石の心から柔らかい肉のような心に変えられます(エゼキエル書11:19)。(3)神はパウロの働きを通して、聖霊により、コリントの信徒の心を柔らかい肉の心に変え、そこに新しい契約(福音の教え)を書き付けてくださいました。それがそのまま、パウロが使徒であることの推薦状なのです。(4)以上のことは、業績誇示ではなく、パウロが神の御前で持っている確信です。
今の時代も、その人が牧師・伝道師に召されているかどうかは、同じ原則によって確かめることができます。(1)その人の働きが実を付けているかどうか。(2)その実は、聖霊の働きによって生み出されたものかどうか。
きょうも、聖霊から推薦状をいただいて出て行きましょう。
きょうの祈り
イエス・キリストの父なる神さま。どうか私を、聖霊に仕え、聖霊に用いられ、聖霊の実を付ける者としてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
年間聖書通読
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