33 それは、神が混乱の神ではなく、平和の神だからです。聖徒たちのすべての教会で行われているように、
34 教会では、妻たちは黙っていなさい。彼らは語ることを許されていません。律法も言うように、服従しなさい。
35 もし何かを学びたければ、家で自分の夫に尋ねなさい。教会で語ることは、妻にとってはふさわしくないことです。
36 神のことばは、あなたがたのところから出たのでしょうか。あるいはまた、あなたがたにだけ伝わったのでしょうか。
37 自分を預言者、あるいは、御霊の人と思う者は、私があなたがたに書くことが主の命令であることを認めなさい。
38 もしそれを認めないなら、その人は認められません。
39 それゆえ、私の兄弟たち。預言することを熱心に求めなさい。異言を話すことも禁じてはいけません。
40 ただ、すべてのことを適切に、秩序をもって行いなさい。
きょうの箇所は難解ですが、筆者なりの解説を試みてみます。ここで大切なことは、「文脈」です。この書簡の文脈以外に、当時の文化的背景という「文脈」も考慮する必要があります。そうすることで、文化的な命令と普遍的な命令とを見分けることができるようになります。(1)コリント教会は、集会の混乱という問題を抱えていました。パウロは、それを矯正するためにこの書簡を書いています。(2)混乱の原因の一つは、賜物の誤った行使にありましたが、もう一つは、公の集会における婦人たちの自由奔放な発言にありました。(3)当時の文化では、婦人が公の場で発言することは恥とされていました。ところがコリント教会では、クリスチャンの自由を盾にとって、勝手気ままな自由主義に走る婦人たちがいたのです。(4)パウロは、道徳的に問題のあったコリントの町で、キリストの教会が教会外の人たちからどのような評価を得るかを非常に気にしていました。それは、さらに多くの人々が救われるためにです。
以上の「文化的文脈」を背景に、パウロは婦人に関する教えを書きました。(1)まず積極的な面から見てみましょう。パウロは、11章5節で、啓示を受けた女性が預言することは認めています。(2)彼が禁じたのは、集会で語られる啓示や教えに対して勝手気ままに質問を浴びせかけることです。それが、「教会では、妻たちは黙っていなさい。彼らは語ることが許されていません。」という発言になるのです。(3)律法(創世記3:16、Iコリント11:3など参照)は、女性に創造の秩序に従うように命じています。質問があれば、家で夫にすればよいのです。(4)コリント教会が、婦人の行動に関して全教会の習慣に反することを行なっているのは問題です。それは、コリント教会が信仰発祥の教会であるかのような傲慢な振る舞いです。
聖書を読むときに大切なのは、文字面だけでなくその背後にある「律法の精神」を読み取ることです。この聖書箇所は、婦人を束縛するためではなく、教会の秩序を維持し、より多くの人が救われるために書かれたものです。愛を示し、人の徳を建てることを目標に、きょうも歩みましょう。
きょうの祈り
天の父よ。聖書は、私たちを束縛するためではなく、祝福するために書かれています。どうか、「律法の精神」を常に読み取ることができますように、私を律法主義の罠から解放してください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
年間聖書通読
ゼカリヤ11~12、詩篇99~100
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