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ゼカリヤ書9:9~10

9 シオンの娘よ。大いに喜べ。エルサレムの娘よ。喜び叫べ。見よ。あなたの王があなたのところに来られる。この方は正しい方で、救いをたまわり、柔和にゅうわで、ろばに乗られる。それも、ろばの子の子ろばに。

10 わたしは戦車をエフライムから、軍馬ぐんばをエルサレムから絶やす。戦いの弓も断たれる。この方は諸国の民に平和を告げ、その支配は海から海へ、大川から地の果てに至る。

ユダヤ人の王の到来(1)

ギリシア人の王からユダヤ人の王へ

これまでに、ゼカリヤはギリシア人の王(アレキサンダー)の到来を預言してきましたが、きょうの箇所から突如その内容が変わり、ユダヤ人の王の到来を預言し始めます。彼は、9節でメシアの初臨を、10節でメシアの再臨を預言します。このように、初臨と再臨が隣接して出てくるのは、メシア預言の中では珍しいことではありません。きょうは、9節のメシアの初臨について学んでみます。

大いに喜べ

「シオンの娘よ。大いに喜べ。エルサレムの娘よ。喜び叫べ。見よ。あなたの王があなたのところに来られる。この方は正しい方で、救いを賜り、柔和で、ろばに乗られる。それも、雌ろばの子の子ろばに」(9節)とあります。(1)大いに喜べとは、恐れる必要はないということです。その理由は、ギリシア人の王ではなく、ユダヤ人の王(あなたの王)が来られるからです。(2)その王の性質が3つ挙げられます。「正しい方」。これは常にメシアに帰される性質です(イザ45215311、エレ23:5~6参照)。「救いを賜る方」。ギリシア人の王は征服するために来ますが、ユダヤ人の王は救うために来られます。その救いは、単なるゆるしの宣言ではなく、ご自分を犠牲にして私たちに与えてくださる赦しです。犠牲がなければ、義なる王とは言えません。「柔和な方」。この言葉は、「抑圧された方」という意味です。メシアは受難じゅなんのしもべとして来られます。「彼は主の前に若枝のように芽ばえ、砂漠の地から出る根のように育った。彼には、私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、私たちが慕うような見ばえもない」(イザ53:2)。以上の3つの性質は、ギリシア人の王とは正反対のものです。
メシアは、まだ誰も乗ったことのない「子ろば」に乗って来られます。当時は、高貴な身分の者や祭司たちが、ろばに乗りました。馬に乗るのは戦士です。イエスが子ろばに乗られたということは、平和の君として来られたことを意味しています。この預言は、マタイ21:1 ~ 11で成就しました。その時人々は、「ダビデの子にホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。ホサナ。いと高き所に」(マタ21:9)と叫びました。ところが、その1週間後にイエスは十字架に渡されます。たとえどれほど多くの人たちがイエスを拒否しようとも、私たちに関しては、この方を受け入れ、ほめたたえようではありませんか。

きょうの祈り

イエス・キリストの父なる神さま。メシアが柔和なお方、私たちを救うお方として来てくださったことを感謝します。イエスは主なりと告白します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

イザヤ書54~55、箴言29

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