4 すると、私に次のような万軍の【主】のことばがあった。
5 「この国のすべての民と祭司たちに向かってこう言え。この七十年の間、あなたがたが、第五の月と第七の月に断食して嘆いたとき、このわたしのために断食したのか。
6 あなたがたが食べたり飲んだりするとき、食べるのも飲むのも、自分たちのためではなかったか。
7 エルサレムとその回りの町々に人が住み、平和であったとき、また、ネゲブや低地に人が住んでいたとき、【主】が先の預言者たちを通して告げられたのは、次のことではなかったか。」
ベテルの人々は「私が長年やってきたように、第五の月にも、断食をして泣かなければならないでしょうか」と問いました。これは祭司たちと預言者たちに向けられたもので、【主】の御心を問うものでした。ゼカリヤは、まず【主】からの叱責の言葉を伝えます。「この国のすべての民と祭司たちに向かってこう言え。この七十年の間、あなたがたが、第五の月と第七の月に断食して嘆いたとき、このわたしのために断食したのか」(5節)。(1)【主】からの答えは、全国民に向けられたもので、民と祭司の利己的で不真実な断食をなじるものでした。(2)第7の月の断食とは、ユダの総督ゲダルヤの暗殺を記念してする断食です(2列25:22 ~ 25)。(3)「70年の間」とあるのは概数で、捕囚期間の70年が終わりに近づいていたことを示しています。(4)「このわたしのために断食したのか」は、いわゆる修辞疑問文です。つまり、「ノー」という答えを想定したものです。
「あなたがたが食べたり飲んだりするとき、食べるのも飲むのも、自分たちのためではなかったか」(6 節)。(1)これもまた修辞疑問文で、この場合は、「イエス」という答えを想定しています。(2)民が実行して来た断食は、決して神のためではなく、自分たちのためでした。
「エルサレムとその回りの町々に人が住み、平和であったとき、また、ネゲブや低地に人が住んでいたとき、【主】が先の預言者たちを通して告げられたのは、次のことではなかったか」(7節)。(1)「先の預言者たち」とは、バビロン捕囚の前の預言者たちです。(2)「エルサレムとその回りの町々に人が住み、平和であったとき、また、ネゲブや低地に人が住んでいたとき」とは、バビロン捕囚の前の時代です。(3)もしイスラエルの民が、預言者たちの言葉に聞き従っていたなら、バビロン捕囚という悲劇を通過することはなかったのです。そして、断食すべきかどうかという質問も、する必要がなかったのです。(4)しかし、彼らは偶像礼拝と偽善的行為のゆえに、バビロンに捕囚民として引かれて行きました。
今イスラエルの民は、捕囚前と同じ罪を犯しています。それは、偽善という罪です。私たちもまた、神学論争や実際的疑問に心が奪われるあまり、【主】の前における真実な信仰をないがしろにするようなことがあってはなりません。今、自らを吟味しようではありませんか。
きょうの祈り
天の父なる神さま。私は、形式信仰に陥りやすい者です。あなたは常に動機の清さを問われます。どうか真実な礼拝をささげることができますように、私をお守りください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン
年間聖書通読
イザヤ書36~37、ローマ人への手紙15
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