1 彼らはアムピポリスとアポロニヤを通って、テサロニケへ行った。そこには、ユダヤ人の会堂があった。
「彼らはアムピポリスとアポロニヤを通って、テサロニケへ行った。そこには、ユダヤ人の会堂があった」。(1)ピリピを出た一行は、すぐに次の町を目指した。体が回復してから活動を再開するのが普通だが、パウロは寸暇を惜しんで伝道に打ち込んだ。ここでの主語「彼ら」とは、パウロとシラスの2 人であろう。テモテは、後からパウロとシラスに合流した可能性が高い。ルカは、そのままピリピに留まった。
(2)一行は、アムピポリスという町を通過した。①ピリピから西に50 キロほどイグナチオ街道を移動すると、この町に到着する。アムピポリスは大きな町であるが、一行は1 泊しただけで、先に進む。この町には、ユダヤ教の会堂はなかった。
(3)次にアポロニヤという町を通過した。アムピポリスから西南に40 キロほどイグナチオ街道を移動すると、この町に到着する。ここでも、一行は1 泊しただけであろう。この町にもユダヤ教の会堂はなかった。ピリピでは異邦人伝道しか行えなかったので、パウロの一行は、ユダヤ人がいる町を目指したと思われる。
(4)アポロニヤから西に55 キロほどイグナチオ街道を移動すると、テサロニケに到着する。①この町は、マケドニア州の首都である。②交通の要衝の町である。イグナチオ街道沿いにあり、主要な港町であった(テルマイコス湾)。パウロの時代、経済的にも、軍事的にも重要な町であった。③当時の人口は、約20 万人と推定される。町の人口の大半が土着のギリシア人であったが、多くのローマ人、さらに、アジア人やユダヤ人もいた。④テサロニケは、タルソやアテネと同じように「自由都市」であった。自由都市とは、自治権が与えられている都市で、選挙で選ばれた代表による議会政治が行われていた。自由都市は、自分の貨幣を鋳造することができた。また、ローマ兵の部隊が駐留していなかった。⑤テサロニケのユダヤ人の会堂は、大きな力を持っていた。そこには、多くの「神を敬う(神を恐れる)異邦人」たちも集っていた。⑥この町には、偶像礼拝がもたらす道徳的堕落が蔓延していた。そのため、ユダヤ教の自制心のある教えに感動する異邦人が多くいた。彼らは、神を敬う異邦人として会堂に集っていた人々である。
テサロニケで信者になる人たちは、偶像礼拝の背景から救われる人たちである。そういう意味で、日本人伝道と似ている点がある。同胞たちが偶像礼拝から救われるように祈ろう。
きょうの祈り
全知全能なる神よ。あなたの摂理の御手は今も働いています。どうか、御心に導いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
年間聖書通読
詩篇149~150
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