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使徒の働き14:19 ~ 20

19 ところが、アンテオケとイコニオムからユダヤ人たちが来て、群衆を抱き込み、パウロを石打ちにし、死んだものと思って、町の外に引きずり出した。

20 しかし、弟子たちがパウロを取り囲んでいると、彼は立ち上がって町に入って行った。その翌日、彼はバルナバとともにデルベに向かった。

ルステラ(4)

石打ちにされるパウロ

「ところが、アンテオケとイコニオムからユダヤ人たちが来て、群衆を抱き込み、パウロを石打ちにし、死んだものと思って、町の外に引きずり出した」。(1)アンテオケとイコニオムからユダヤ人たちが追跡して来た。群衆は移り気である。彼らは、追跡して来たユダヤ人たちによって容易に煽動せんどうされた。(2)彼らはパウロを石打ちにし、死んだものと思って、町の外に引きずり出した。石打ちは、ユダヤ人が行う処罰の方法である。これによって、首謀者しゅぼうしゃがユダヤ人であったことが分かる。(3)パウロは自らの体験をこう記している。「むちで打たれたことが三度、石で打たれたことが一度、難船したことが三度あり、一昼夜、海上をただよったこともあります」(2 コリ1125)。「またアンテオケ、イコニオム、ルステラで私にふりかかった迫害や苦難にも、よくついて来てくれました。何というひどい迫害に私は耐えて来たことでしょう。・・・」(2 テモ3:11)。「これからは、だれも私をわずらわさないようにしてください。私は、この身に、イエスの焼き印を帯びているのですから」(ガラ6:17)。イエスの焼き印とは、キリストのゆえに受けた傷のことである。(4)パウロの受難の預言は、ダマスコの信者アナニヤに与えられていた。「彼がわたしの名のために、どんなに苦しまなければならないかを、わたしは彼に示すつもりです」(使9:16)。ステパノの石打ちに関わったパウロ自身が石打ちにされたのは、皮肉なことである。

立ち上がるパウロ

「しかし、弟子たちがパウロを取り囲んでいると、彼は立ち上がって町に入って行った。その翌日、彼はバルナバとともにデルベに向かった」。(1)死んだと思ったパウロが立ち上がった。石を投げた者たちは、どれほど驚いたことであろうか。パウロは、再び町に入って行った。(2)翌日彼は、バルナバとともに次の町デルベに向かった。(3)ルステラでの伝道が失敗だったと思う必要はない。なぜなら、この時のパウロの伝道によって、テモテが救われた可能性が大だからである。パウロが第二次伝道旅行でルステラを訪問した時、テモテはすでに信者になっていた。「それからパウロはデルベに、次いでルステラに行った。そこにテモテという弟子がいた。信者であるユダヤ婦人の子で、ギリシヤ人を父としていたが、ルステラとイコニオムとの兄弟たちの間で評判の良い人であった」(使16:1 ~ 2)。試練は祝福をもたらす種である。

きょうの祈り

天の父なる神さま。人が失敗と思うことの中にも、あなたの恵みがあると学びました。あなたの喜びを私の喜びとさせてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

ネヘミヤ記3~4、詩篇125~126

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