サポートする

使徒の働き12:1 ~ 2

1 そのころ、ヘロデ王は、教会の中のある人々を苦しめようとして、その手を伸ばし、

2 ヨハネの兄弟ヤコブをつるぎで殺した。

ヤコブの死

はじめに

物語の舞台は、アンテオケ教会からエルサレムに戻る。ルカは、「イスラエルのメシア拒否」を再確認するために使徒の働き12 章を書いている。教会に対するユダヤ人たちの敵対が、第一次伝道旅行(異邦人伝道)の舞台を整えていく。
ユダヤ人たちの態度の変化を確認しておこう。最初、ユダヤ人たちは教会に対して好意的であった。しかし、ステパノの殉教じゅんきょうの死をきっかけに迫害が始まり、サウロがその急先鋒きゅうせんぽうとなった。サウロの回心以降、一時的な平和が訪れた。しかし、異邦人が教会に加えられて以降、敵対心が増した。そういう流れの中で、エルサレム教会に再び迫害がおそって来た(政治的権力からの迫害)。迫害は、アンテオケ教会がエルサレム教会への義援金を集めていたころ(紀元44 年の過越の祭りのころ)に始まった。

ヤコブの死

ヘロデ家の4 代を確認しよう。(1)ヘロデ大王(前37 ~ 4)。愛妻マリアンメと2 人の息子(アリストビュラスとアレキサンデル)を殺害した。(2)ヘロデ大王の息子:ヘロデ・アンティパス(前4 ~紀元39)。ガリラヤの国主(ルカ3:1)。(3)ヘロデ大王の孫:ヘロデ・アグリッパ(紀元3744)。アリストビュラスの息子。彼は、ローマ皇帝カリギュラ(ガイウス)と親交があり、ヘロデ大王の時代の領地を支配する王となった。(4)ヘロデ大王の曽孫:ヘロデ・アグリッパ2 世(紀元44 ~ 100 年頃)。彼は、パウロの裁判を行うことになる(使26 章)。
ヘロデ・アグリッパは、ポピュリストであった。イドマヤ人であった彼は、ユダヤ人の歓心を買うために、首都をカイザリヤからエルサレムに移した。次に、使徒たちの迫害に着手した。恐らく、サンヘドリンと共謀きょうぼうしたのであろう。最初に選ばれたのは、ヨハネの兄ヤコブであった。「剣で殺した」とは、斬首ざんしゅ刑である(バプテスマのヨハネの場合と同じ。マタ1410)。斬首が最も恵みに富んだ死刑法だと考えられていた(それ以外に、石打の刑、火あぶりの刑、絞首こうしゅ刑などがあった)。斬首刑は、ヤコブが背教の罪で死刑に処せられたことを示している。「雷の子」(マコ3:17)の中の兄は、使徒の中の最初の殉教者となった。弟のヨハネは、長寿を全うする唯一の使徒となる。
神は、私たちそれぞれに独自の計画を持っておられる。その計画は、神の視点から見て最善である。それを最善として受け取るのが、信仰である。きょうも、神の最善を信じて進もう。

きょうの祈り

全知全能なる神よ。あなたのご計画は最善です。きょうも、あなたを信頼して歩みます。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

ヨブ記31~33、ヘブル人への手紙5