19 さて、ステパノのことから起こった迫害によって散らされた人々は、フェニキヤ、キプロス、アンテオケまでも進んで行ったが、ユダヤ人以外の者にはだれにも、みことばを語らなかった。
20 ところが、その中にキプロス人とクレネ人が幾人かいて、アンテオケに来てからはギリシヤ人にも語りかけ、主イエスのことを宣べ伝えた。
21 そして、主の御手が彼らとともにあったので、大ぜいの人が信じて主に立ち返った。
エルサレムから逃避したヘレニストのユダヤ人信者たちは、ディアスポラのユダヤ人共同体が存在する町々に散って行った。当時彼らは、ユダヤ人伝道だけを行っていた。「ところが、その中にキプロス人とクレネ人が幾人かいて、アンテオケに来てからはギリシヤ人にも語りかけ、主イエスのことを宣べ伝えた」。(1)アンテオケという町について。①古代世界には、同名の町が16 もあった。②その中で、シリアのアンテオケが最も大きく、最も有名であった。この町は、シリア属州の首都で、ローマ、アレキサンドリアに次ぐ3 番目の都市であった。人口は50 万人前後で、ユダヤ人人口は約14 パーセントを占めていた。③交通の要衝の地(東と西を結ぶ地)で、罪と偶像礼拝で有名な町でもあった(アシュタロテ礼拝と神殿娼婦の存在)。(2)アンテオケに来てから、異邦人伝道を開始した人たちがいた。キプロス人(キプロス島出身のユダヤ人)とクレネ人(北アフリカのクレネ出身のユダヤ人)がそれである。彼らは、ヘレニストのユダヤ人である(ディアスポラのユダヤ人)。彼らの行動は、画期的なものであった。(3)伝道の対象は、ギリシア人であった。この人たちは、神を恐れる異邦人であったと思われる。つまり、コルネリオと同じような霊的状態にあったということである。彼らには、福音のメッセージを理解する素地があった。(4)キプロス人とクレネ人は、「主イエスのことを宣べ伝えた」。ユダヤ人伝道では、イエスがメシアであることが強調されたが、異邦人伝道では、イエスは主であることが強調された。
「そして、主の御手が彼らとともにあったので、大ぜいの人が信じて主に立ち返った」。 (1)「主の御手が彼らとともにあった」とは、旧約聖書的表現である。神が異邦人伝道に同意されたという意味である。(2)「大ぜいの人が信じて主に立ち返った」。信じるということと主に立ち返るということを、別の行動と考える必要はない。この2 つのことは、同時に起こっている。(3)「主」(キュリオス)という言葉は、重要である。①「主の御手が彼らとともにあった」の「主」は、父なる神を指す。②「主に立ち返った」の「主」は、キリストを指す。③初期の頃から、信者たちはイエスの神性を理解し、それを信じていた。
イエスの神性を否定する教えは、すべて異端的教えである。主イエスに信頼する者は、失望させられることがない。
きょうの祈り
天の父なる神さま。主イエスに信頼する者は、失望させられることがありません。きょうも、喜びをもって歩みます。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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ヨブ記7~9、テトスへの手紙3
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