9 ところが、この町にシモンという人がいた。彼は以前からこの町で魔術を行って、サマリヤの人々を驚かし、自分は偉大な者だと話していた。
10 小さな者から大きな者に至るまで、あらゆる人々が彼に関心を抱き、「この人こそ、大能と呼ばれる、神の力だ」と言っていた。
11 人々が彼に関心を抱いたのは、長い間、その魔術に驚かされていたからである。
12 しかし、ピリポが神の国とイエス・キリストの御名について宣べるのを信じた彼らは、男も女もバプテスマを受けた。
13 シモン自身も信じて、バプテスマを受け、いつもピリポについていた。そして、しるしとすばらしい奇蹟が行われるのを見て、驚いていた。
「ところが、この町にシモンという人がいた。彼は以前からこの町で魔術を行って、サマリヤの人々を驚かし、自分は偉大な者だと話していた」。(1)ピリポは神の力で奉仕をしていたが、魔術師シモンは悪霊の力で動いていた。彼のゴールは、人々を驚かすことであった。彼は、「偉大な者」(some great one)と自称していた。(2)シモンに関しては、種々の伝承がある。①グノーシス主義の創始者である。②ローマに行って、キリスト教の教理を曲げた(最初の異端を作り出した)。③ペテロと奇跡コンテストを演じ、敗れた。いずれも確証のないものだが、このような伝承が生まれるほど、彼は後世に強烈な印象を残したのである。
「小さな者から大きな者に至るまで、あらゆる人々が彼に関心を抱き、『この人こそ、大能と呼ばれる、神の力だ』と言っていた。・・・」。「この人こそ、大能と呼ばれる、神の力だ」とは、驚くべき言葉である。人々が、シモンは神性を有していると考えたかどうかは明らかではないが、少なくとも、シモンは「神の力」の化身であると考えていたのであろう。一番の問題は、シモンがそのような賞賛を喜んで受け取っていたことである。神のしもべは、賞賛を受けることを嫌悪する。
「しかし、ピリポが神の国とイエス・キリストの御名について宣べるのを信じた彼らは、男も女もバプテスマを受けた」。(1)「神の国」とは、メシア的王国(千年王国)のことである(使1:3、6 参照)。「イエス・キリストの御名について宣べる」とは、イエス・キリストは神の国の王であるというメッセージを語ったということである(サマリヤ人も、イエスを信じることでメシア的王国の市民となれる)。(2)シモンは、悪霊の力によって関心を自分に集め、人々を驚かせたが、ピリポは、神の力によって関心をイエスに向けさせ、人々を回心に導いた。その結果、「男も女もバプテスマを受けた」。彼らは、信じた証しとして洗礼を受けた(すでに割礼を受けていたので、洗礼だけでユダヤ教に改宗することができた)。(3)ここで起こっていることは、まさに奇跡である。①サマリヤ人にとっては、ユダヤ人のメシアを信じるのは、裏切り行為である。②ユダヤ人にとっては、サマリヤ人も救われると教えるのは、裏切り行為である。
ステパノは、福音の普遍性を論じたために迫害されたが、ピリポも同じ神学的危険を犯したのである。しかし、神の御心に従うなら、そこには必ず祝福が待っている。
きょうの祈り
天の父なる神さま。私の役目も、人々の心を主イエスに向けさせることです。賞賛ではなく、救いを求めます。きょうも御心に歩ませてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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